「イシス=ウラニア・テンプル」の版間の差分

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(A∴A∴は同列には扱えないので除去;ウェイトの派閥は少数派;その他、補足修正)
イシス=ウラニア・テンプルが独立を宣言した後、さらなる争いがあり、結果として[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]が退任することになった<ref>King, 1989, page 78</ref>。P・W・ブロック、M・W・ブラックデン、ジョン・ウィリアム・ブロディ=イネスの3人委員会が一時的に統率することになった。しばらくしてブロックは辞任し、ロバート・フェルキンが後任となった<ref>King, 1989, page 94</ref>。この間、かれらはアニー・ホーニマンと対立するようになり、結果としてホーニマンは永久に団を離脱した。1903年5月、ブロディ=イネスはかれが団の首領となることを盛り込んだ新たな団内規約を通そうと試みた。かれは[[アーサー・エドワード・ウェイト]]、マーカス・ブラックデン、ウィリアム・アレクサンダー・アイトンに率いられた会員たちの反対を受けた。ウェイトのグループは、団は再編されなければならず、イシス=ウラニア・テンプルの指揮権を保持しながら神秘的方向に再集中すべきであり、積極的な魔術作業を追い求める人々は分離すべきであると提案した。ウェイトのグループは少数派であったが、提出された新しい団内規約案を通すのに必要な3分の2の賛成を覆すのに成功した<ref>フランシス・キング『英国魔術結社の興亡』江口之隆訳、国書刊行会、1994年、114頁。</ref>。これにより、フェルキンとブロディ=イネスの指導下にある人々(イェイツ含む)は分離して「暁の星」を結成した<ref>Gilbert, Robert A.; p. 44</ref>。
 
==黄金の夜明けの独立改定儀礼==
ウェイト、ブラックデン、アイトンは今や、かれらの名づけるところの「黄金の夜明けの独立改定儀礼」またの名を「聖黄金の夜明け団」という結社の指導者であった。それは初めから明確に魔術作業を放棄した神秘主義の探求を志していた。しかしながらブラックデンとアイトンは実際にはウェイトに任せて積極的な役割を果たさなかった。この改革された団の支持者には[[アーサー・マッケン]]、[[アルジャノン・ブラックウッド]]、[[パメラ・コールマン・スミス]]、イザベル・ド・スタイガーがいた。この団はまた、1905年にイーヴリン・アンダーヒルという新たな活動的団員も獲得した。アイトン没後、ウェバー大佐が後任となった<ref name="waite">King, 1989, page 96</ref>。ウェイトは第一次世界大戦に至るまでの間、イシス=ウラニア・テンプルの運営を継続し、当初は「暁の星」のアモン・テンプルとの多少なりとも平穏な関係を維持したが、「アルファ・オメガ」との接触は拒んだ。