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後に[[司馬昭]]が[[蜀漢の滅亡|蜀征伐]]を成し遂げ[[晋 (王朝)|晋]]王となると、曹奐は司馬昭を父の曹宇より上の官位に任じ優遇したとある(『[[晋書]]』文帝紀)。
 
[[265年]]、曹奐が[[司馬炎]]に[[禅譲]]し、[[西晋]]が成立すると、燕公に降封された。[[咸寧 (晋)|咸寧]]年間に死去した。278年(咸寧4年)、曹奐は亡き父を明帝(曹叡)に合祀したいと願い出た。しかし役人の進言で、司馬炎は[[詔]]で「王<ref>曹奐は、西晋によって[[陳留王]]に封じられていた。</ref>は魏の後継者であり、その地位は重い。個人的な(皇帝になったわけではない)親類のために許可することはできない」と却下した(『[[晋書]]』巻20[[礼]][[志]]中)。
 
== 脚注 ==