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=== 大学全体 ===
==== 日本女子大学校 ====
日本女子大学校は、明治時代に日本で初めての組織的な女子高等教育機関として誕生した。女性に教育は有害無益であると考えられていた当時、創設者[[成瀬仁蔵]]は著書『女子教育』によって必要性を力説。創立にあたっては、[[東京専門学校 (旧制)|東京専門学校]](現・[[早稲田大学]])の創立者[[大隈重信]]が創立委員長となり、総理大臣[[伊藤博文]]、学習院院長[[近衞篤麿]]、文部大臣[[西園寺公望]]、財界人[[渋沢栄一]]、[[岩崎弥之助]]等各界の重鎮の多大な支援を受け、[[広岡浅子]]の働きかけで[[三井財閥]]から東京・[[目白]]の地(現在地)を寄贈され開校。開校時は、家政学部、国文学部、英文学部の三つの学部と、附属高等女学校が設置された(『わたしの大学』日本女子大学より引用)
 
==== 通信教育 ====
[[通信教育]]課程については、男性は[[科目等履修生]]としてのみ在籍可能。通信制大学院も設置された。通信教育で、中学や高校の[[家庭科]]や[[保健科]]の[[教員免許]]の取得が可能な数少ない大学。[[近畿大学豊岡短期大学]]や[[近畿大学九州短期大学]]の通信教育課程中学家庭科教員養成コースが廃止されたため、現在は、通信で家庭科教員免許が取得できる、日本国内で唯一の大学となっている。ただし、科目等履修生の教育実習や介護等体験の履修は、日本女子大学の卒業生のみに限定している。そのため、通信教育で家庭科や保健科の教員免許を取得できる男子学生は、すでに国語・英語・音楽といった家庭科や保健科以外の何らかの教科の中学免許や高校免許を取得済の者に限られる。[[放送大学学園]]と単位互換協定を結んでおり、[[放送大学]]で取得した単位を卒業に要する単位として認定することができる<ref>[http://www.ouj.ac.jp/hp/nyugaku/tanigokan/pdf/tanigokan_annai.pdf 放送大学 平成28年度 単位互換案内]</ref>
 
==== その他 ====
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*[[1897年]](明治30年) - 第一回創立委員会開催。[[大隈重信]]、創立委員長となる。
*[[1900年]](明治33年) - 三井家より、目白台に女子大学敷地として五五二〇坪の寄付を受ける。
*[[1901年]](明治34年)[[4月20日]] - 女子高等教育の第一人者、[[成瀬仁蔵]]によって、「女子を人として、婦人として、国民として教育する」という教育方針を掲げ、'''日本女子大学校'''<ref>名称に「大学」を用いていたが、[[大学令]]による[[旧制大学]]ではなく、[[専門学校令]]による[[旧制女子専門学校]]であった。[[旧制大学]]も参照のこと</ref>として創立された。
*[[1904年]](明治36年) - [[専門学校令]]による専門学校として認可<ref>[http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/hpbz198101/hpbz198101_2_063.html 『学制百年史』、文部省編、株式会社帝国地方行政学会 (1981)、第一編 第二章 第四節 三]</ref>。
*[[1948年]]([[昭和]]23年) - [[学制改革]]によって[[新制大学]]としての日本女子大学が発足、家政学部・文学部を設置。