「バーナード・バルーク」の版間の差分

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その結果としてルーズベルト政権が成立した1930年代には、強大化した政治的な影響力を利用し、公的にも金融界の大物から長老政治家というスーパーエリートへ転身を遂げることに成功。[[フランクリン・ルーズヴェルト]][[大統領上級顧問 (ホワイトハウス)|大統領の顧問]]として大いに専権を振るった。
 
[[ハリー・トルーマン]]政権でもその影響力は低下することなく[[国際連合|国連]]原子力委員会の米国代表に選ばれ、[[バルーク案]]によりアメリカの[[核兵器|核]]独占による世界平和を唱えた。[[冷戦]]という言葉を初めて使た一人であり<ref>Gaddis 2005 , p.54</ref>それが戦後の世界情勢を意味する言葉として認められた事実は、彼の特権的な地位を証明している。
 
== 概要 ==
[[ユダヤ人|ユダヤ系]]で[[理学療法]]の先駆者だった南軍軍医総監の[[サイモン・バルーク]]の家庭に生まれる<ref>{{cite news |author= |title=Bernard Baruch's Father Dies in N. Y. |url=https://pqasb.pqarchiver.com/freep/access/1784474822.html?FMT=ABS&FMTS=ABS:AI&type=historic&date=Jun+04%2C+1921&author=&pub=Detroit+Free+Press+(1858-1922)&desc=BERNARD+BARUCH'S+FATHER+DIES+IN+N.+Y.&pqatl=google |quote=Dr. Simon Baruch, noted physician and father of Bernard M. Baruch, financier died at 1:10 this afternoon from an of the lungs complicated by heart disease. |newspaper=[[The New York Times]] |accessdate=2019-06-26 }}</ref>
''A.A. Housman & Company''(現[[メリルリンチ]])の共同経営者としてキャリアを積んだ。
第一次世界大戦では、ウィルソン大統領の側近として戦時産業局の長官となって[[軍需産業]]を統制し、産業分野から合衆国の戦争を指揮する重要人物となった。戦時産業局は[[パリ講和会議]]の代表団と計画して[[ブルッキングス研究所]]を設立した。イギリスとフランスの[[ドイツ国|ドイツ]]への賠償要求には反対し、ウィルソンの[[国際連盟]]構想を支持した<ref>Leab, Daniel et al., ed. "The Great Depression and the New Deal: A Thematic Encyclopedia." ABC-CLIO LLC., 2010, p. 11.</ref>。