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道信は、修禅の労に服すこと九年、後[[吉州 (江西省)|吉州]]にて戒受。僧璨は常に道信に玄々微妙たる禅の理、真髄を伝授し続けた。
 
時機成熟し以後、僧璨は道信に[[衣法]]
 
その時、道信が読んだ偈は次の如きものであったことが今に伝わっている。「花の種、これ田地 田畑にて 瑞々しい若花を大地より生ずる。もし、種を蒔く者がいなければ、花々に満ちていた大地は(これから)生じることもなく尽きてしまう(仏法もまた同じで、いまこそ 法をひろめなけえばならない)。」
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「[[菩提達磨]]を東伝の初祖とし、慧可を経て「[[東山法門]]」の人々に受け継がれた」とする禅の正系を強く結びつける上でも重要視されるのが、第三祖僧璨である。
 
== 資料脚注・出典 ==
<references/>
 
* 1982年杭州出土の煉瓦に刻まれた文字“大隋開皇十二年七月僧璨大師隠化於舒州皖公山岫 結塔供養 道信為記”
== 参考資料 ==
* 1982年杭州出土の煉瓦に刻まれた文字“大隋開皇十二年七月僧璨大師隠化於舒州皖公山岫 結塔供養 道信為記”
 
== 関連項目 ==
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