「瀬谷駅」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
274行目:
[[1950年代]]後半に横浜市は瀬谷の市街地造成を打ち出したが、上瀬谷通信施設周辺の工場化・住宅化を嫌った在日米軍が基地周囲に[[電波]]緩衝地区の設定を要求、[[1959年]]には当駅を含む極めて広範囲に電波規制と建設規制が布かれた。
[[1970年代]]<!--昭和40年代後半-->になると、金融機関は南口に[[横浜信用金庫]]、北口に[[横浜銀行]]が出店し、その後北口にも八千代信用金庫(現・[[きらぼし銀行]])、南口にも[[静岡銀行]](その後撤退)が進出した。スーパーマーケットは北口に[[西友]](2006年閉店)が出店し、南口の相模鉄道資材置き場跡地にも相鉄ストア(現・[[相鉄ローゼン|そうてつローゼン]])が出店した。同年代半ば以降<!--昭和50年代-->には北口に[[バス]]乗り場が設置され、[[相鉄バス|相模鉄道バス]]は細谷戸団地行、[[神奈川中央交通]](神奈中バス)は[[戸塚駅]]東口行、[[鶴間駅]]行、[[町田駅|原町田]]行の路線が乗り入れていた。また、[[家電量販店]]チェーンであるダイオー(現・[[ラオックス]])も開店した。
[[1983年]]に放映された[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列の連続ドラマ『[[早春スケッチブック]]』の舞台となった[[希望ヶ丘駅]]周辺と共に、主人公の一人である望月省一([[河原崎長一郎]]が演じた)が八千代信用金庫瀬谷支店の渉外課長という設定で、同支店と北口広場で[[ロケーション撮影|ロケ撮影]]が行われた。他には、南口から少し離れた[[神奈川県道40号横浜厚木線|厚木街道]]沿いにある洋食レストラン「シオタ」でもロケ撮影が行われた。
280行目:
[[冷戦]]終結後の[[1994年]]に電波規制が解除されると当駅周囲の[[都市再開発|再開発]]が行われ、北口の再開発([[1988年]]事業計画決定・[[2000年]]事業完了)は店舗が少ないこともあって順調に進み、4棟の[[マンション]]が建設されるなど一部地域を除いてほぼ完成している。また[[スーパーマーケット]]として[[1999年]]に[[マルエツ]]、翌[[2000年]]に[[ユータカラヤ]]が出店した。さらに[[1998年]]には相鉄[[駐車場]]ビルが完成し、1階が「瀬谷駅北口[[広場#交通広場と駅前広場|交通広場]]」(バス・[[タクシー]]乗り場)となっている。この交通広場からは<!--北口からは、-->神奈中バスにより[[立場駅|立場バスターミナル]]行([[相鉄いずみ野線|いずみ野線]][[いずみ野駅]]経由、毎時3本)や八幡神社前行、鶴間駅東口行、[[マークスプリングス]]行の路線などが運行されている([[#バス路線]]を参照)。
[[2009年]]4月より駅北側(元:[[大創産業|ダイソー]]から[[宝くじ]]売り場付近)に地上3階建ての商業ビルを建設し、2010年[[7月1日]]に「スマイルストリート瀬谷」(管理:[[相鉄ビルマネジメント]])としてグランドオープンした<ref>{{PDF|[https://sotetsu-urban.jp/pdf/100513smil_open.pdf 相鉄線瀬谷駅北口に複合商業施設 7月1日(木)、「スマイルストリート瀬谷」がオープン]}}(株式会社相鉄アーバンクリエイツ 2010年5月13日)</ref>。
一方、南口の再開発(1988年事業計画決定、[[1991年]]「瀬谷駅南口街づくり協議会」発足)は権利関係などが絡んで大きく遅延して
[[2005年]]の環状4号線の部分開通で[[跨線橋]]が仮設(仮高架化)され、交通量は増加傾向にある。この他、駅周辺の観光資源として[[瀬谷八福神]]があり、年始になると、その窓口として瀬谷八福神めぐりスタンプブック([[御朱印帳]])の販売なども行われる。
|