「都はるみ」の版間の差分

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当時[[西郷輝彦]]のマネージャーをしていた[[相澤秀禎]]は「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、[[日本レコード大賞|レコード大賞]]に出演していた都を見て、今まで味わったことのない「気」、「[[オーラ]]」を感じ、是非ともマネージメントしたいと思ったという。都の母に毎晩電話するなどしてアプローチしたこともあり、約9年後に都は相澤の「[[サンミュージック]]」に所属することになった<ref name="ninkidukrinohousoku"/>
 
[[タイヘイトリオ]]の贔屓だった母に連れられて幼少期から[[歌謡浪曲]]ショウに親しみ、「アンコ椿は恋の花」の歌唱に際しては、母からタイヘイ夢路のくどい節回し、[[こぶしメリスマ|小節]]回しを参考にするよう指導された結果、これを大ヒットさせた。
 
実妹も「[[野川明美]]」という芸名で歌手デビューしたが、ヒット曲には恵まれず引退している。