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* [[日本中央競馬会]]の馬主登録をしており、2009年の[[秋華賞]]を勝った[[レッドディザイア]]の母、[[グレイトサンライズ]]を所有していた。しかし、2006年以降は個人で競走馬を所有していない。
 
=== 味の素激昂事件===
* 1992年12月、たかじんが司会をしていた[[テレビ朝日]]の深夜番組[[M10 (テレビ番組)|M10]]の料理コーナーで起きた通称:「味の素事件」<ref>[https://www.excite.co.jp/news/article/E1477973811246/ やしきたかじん 衝撃の放送事故「味の素激昂事件」の真相]</ref>である。たかじんが「こんにゃくサイコロ ステーキ」を調理中、隠し味に必要な[[味の素#調味料「味の素」|味の素]]が見つからず、番組スタッフや助手を務めていた[[服部栄養専門学校]]の生徒に「味の素はどこや?!」と連呼したが、誰も答えなかったため、[[アシスタントディレクター]](後に[[小宮悦子]]と結婚した人物)を殴り、スタジオのセットを破壊する出来事があった。その状況に慌てた共演の[[トミーズ雅]]が「味の素を入れたことにしましょう」と軌道修正を図るフォローをしたが、「出来ん、それ。味の素が無いのに出来ない!」と調理を放棄。たかじんは生放送中にも関わらず、スタジオを後にして帰った。スタジオに残されたゲストの[[中山秀征]]と[[大竹まこと]]は、たかじん作成の進行表だけを頼りに残りの放送時間内で「味の素を入れない、こんにゃくステーキ」を完成。トミーズ雅、大竹、中山の3人で試食をして、波乱の生放送を締めくくった<ref>「追悼! やしきたかじん 追悼ってなめとんか! やしきたかじんを全部しゃべり倒したらぁ〜SP!!(関西テレビ 2014年2月8日放送分)」より{{出典無効|date=2015年4月17日 (金) 04:19 (UTC)}}</ref>。
** ただし、この激昂は味の素だけが原因ではなく、味の素はきっかけに過ぎなかった。それ以前に番組スタッフが、大阪のタレントを見下している感が強すぎたからである。後日、たかじんは別の番組で「[[ファクシミリ|ファックス]]で再三、打ち合わせしたにも関わらず、味の素を持って来なかったことに腹を立てた」と話している。この事件で、たかじんは殴った際に右手を骨折した。
* 生番組中に「味の素」と連呼したことで、味の素本社から1000本の味の素が送られて、スタジオのセットやたかじんの楽屋の至るところに置かれるという後日談も生まれた。この差し入れは同社からの善意によるものとされているが、激怒した原因は打ち合わせをしたにも関わらず制作スタッフの怠慢で進行に支障を来したことから「味の素がなかったから」とすることは本意ではなく「あるかないかの問題ではなく、そもそも制作業務としての当然の通達が全く機能していなかったためである」と本人が吐露している。
* 後に番組内で、たかじんは「騒動を引き起こした責任を取って、番組を自ら降板する」と宣言したが、トミーズ雅から説得され、一旦は慰留を受け入れたが、バーのマスター役のたかじんとトミーズ雅が有名人を迎えてトークをする『M10』金曜日の番組構成は、既に関東地区以外で放送されていた[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]の『[[たかじんnoばぁ〜]]』と全く同じであったため、この事件で『自局制作の番組を模倣した番組』が関東ローカルで放送されていたことを知った読売テレビが、テレビ朝日と制作プロダクションの[[オフィス・トゥー・ワン]]に事情説明を求めるまでに発展して、翌1993年3月に降板した。同時に、彼の東京嫌いが決定的なものとなった。
* その後、『[[上岡龍太郎にはダマされないぞ!]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])』に、たかじんがゲスト出演した際、司会の[[上岡龍太郎]]のアイディアで、セットに「味の素」を敷き詰めたという後日談もある<ref>「追悼! やしきたかじん 追悼ってなめとんか! やしきたかじんを全部しゃべり倒したらぁ〜SP!!(関西テレビ 2014年2月8日放送分)」より</ref>。
* 後に『[[たかじんTV非常事態宣言]]』の企画で、味の素 大阪支社を訪れた際、この事件が味の素の社内でも伝説として語り継がれていることを知る。
=== その他 ===
* [[ヘビースモーカー]]。銘柄は[[ピース (たばこ)|ピース・スーパーライト・ボックス]]。[[喫煙]]による[[気胸|肺気胸]]の症状も患った。医師から「煙草を止めなければ死にますよ」と禁煙を勧められ、2008年11月から[[電子たばこ]]も使っていた。