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[[1905年]](明治38年)、[[韓国統監府]]初代統監には[[伊藤博文]]が任命されたが、[[1908年]](明治41年)に辞任した。また、[[1906年]](明治39年)の[[ポーツマス条約]]で獲得した[[遼東半島]]南部([[関東州]])および[[長春]]以南の[[東清鉄道]]に対し、それぞれ[[関東都督府]]、[[南満州鉄道株式会社]](満鉄)が設置された。その後[[1909年]](明治42年)7月、[[第2次桂内閣]]が[[韓国併合]]を閣議決定、[[10月26日]]に伊藤は[[ロシア帝国|ロシア]]との会談を行うため渡満したが、[[ハルビン]]に到着した際に[[大韓帝国]]の独立運動家[[安重根]]から撃たれて暗殺された。[[1910年]](明治43年)には[[日韓併合条約]]を結んで大韓帝国を併合し、ここに諸列強と並ぶ[[帝国主義]]国家にのし上がった。大国ロシアに対して戦勝を記録したことは諸外国にも反響を与えた。
 
[[1911年]](明治44年)、日本はアメリカ合衆国と新しい[[日米通商航海条約]]を締結、イギリス、ドイツ、フランスおよびイタリアとも同内容の条約を締結した。外務大臣[[小村壽太郎|小村寿太郎]]は関税自主権の全面回復に成功し、これにより、かつて江戸幕府の政権時に西洋列強と結んだ不平等条約を対等な国家間条約に改善する[[条約改正]]の主要な部分が完了、日本は長年の課題を克服し、名実ともに西欧諸国と対等な国際関係を結ぶこととなった。[[嘉永]]年間以来の[[黒船]]の衝撃と、その後に目指した西欧列強と並ぶ近代国家作りは一応達成された<ref group="注釈">政治・軍事面では西洋と表面上対等になっても、社会的・文化的な近代化が課題として残された。また、表面的かつ性急な西欧列強の模倣に走った明治日本を冷ややかにとらえ、日本の末路に悲観的な見解を示す[[夏目漱石]]のような知識人も少数ながら存在した。</ref>。
 
その後、[[第一次世界大戦]]の講和により完成した[[ヴェルサイユ条約|ベルサイユ体制]]の世界で、日本は[[1920年]](大正9年)に設立された[[国際連盟]]に[[常任理事国 (国際連盟)|常任理事国]]として参加、明治維新から約50年という速さで列強国の一つに数えられることになった。
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