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調理は[[技術]]であり、また特に高度なものは[[芸術]]の一種と捉えられることもある。絵画芸術では芸術家による作品は絵画作品であり、創り出された作品そのものが形として後世にまで残るが、調理の場合は、作品は料理でありお客(食べる人)の前に出され、食べられ、形(物体)としては無くなる、という特徴がある。ただし、[[レシピ]]という形では残り、シェフが開発した優れたレシピは時代を超えた価値を持ち続けている。
 
なお世界の一般論として言えば、調理に資格は一切必要ない。<ref>注 - 調理は自由である、としておかなければ、自分や家族のために調理して栄養をとり生き延びることすらできなくなってしまうので、そうなっている。生きる基本である「呼吸」することに対して資格試験まず受けさせて合格しないと呼吸させない、などとは設定しない、設定してはいけない、というのと同じことである。また友人・知人などを家庭に招いて調理して もてなしたりすることすらもできないような、不便きわまり世界になってしまうので、調理に資格者限定は行われない。</ref> 世界的に見て、料理店などの調理場で調理するのにも免許は必要ない。日本では1958年の[[調理師法]]の公布により「調理師」が都道府県知事の免許制として一応法制化されたが、それでも飲食店においても調理は調理師免許を持っていなくても行うことができる。ただ料理店に対して調理師を置くことを「努力義務」としただけで、調理師がいなくても特にとがめられるわけではない。<ref>なお調理の仕事は、資格が必要無いからといって、誰でも簡単に続けられるようなものではなく、客(お客の味覚、お客の厳しい判断)に認められて ようやく続けられる仕事である。世界的に見て、プロの調理人としてやってゆく場合、調理場で実践的に働くことを相当年数続けること(たとえば調理場の脇役的な作業から初めて、少しづつ下準備的な、食材に触れること、食材を切ることなどを許され、長い年月の末に味の最終調整にも関与するようになること)は一定の評価の対象となっており、その中でも、特に名の知れた腕の良い調理人のいる調理場で厳しい修行を積み その優れた技術体系を総合的に会得することは調理人のキャリア形成で有利に働き、一種の「財産」「資産」のような役割を果たす。</ref>
 
調理については学問的な研究も行われており、[[栄養]]や[[味覚]]などについて[[自然科学]]的アプローチを行う「調理科学」や、歴史の変遷を追う「調理史」などがある。