「アパルトヘイト」の版間の差分

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1913年制定の「{{仮リンク|原住民土地法|en|Natives Land Act, 1913}}」により、南アフリカ全土のうち[[南アフリカ連邦]]政府が指定した地域<ref group="注">面積にして、南アフリカ全土のおよそ10%にも満たない程度。</ref>のみに黒人の土地所有権を認めたが、それ以外の地域における黒人の土地所有権を否定し、黒人が白人から家屋や土地を買い取って所有することができなくなった。
 
都市部においても1950年に制定された「{{仮リンク|集団地域法|en|Group Areas Act}}」に基づいて人種別に居住区の割り当てが行われ、自身が属する人種グループに割り当てられた地域以外での居住は違法とされたほか、1953年制定の「{{仮リンク|隔離施設留保法|en|Reservation of Separate Amenities Act, 1953}}」では道路を除いたあらゆる公共施設や公共車両、飲食店などにおいて人種別に専用の施設を用意することが義務付けられ、白人と黒人の居住区および生活圏を法的にくっきりとわられた。差別される側の黒人は約2500万人、インド系住民約90万人に対して、白人は490万人程度である<ref group="注">日本人などは名誉白人などとよばれ、白人居住区に居住した。</ref>。さらに1959年に全面的なアパルトヘイト構想として[[バントゥースタン]]計画が立案された。具体的には1959年制定の「{{仮リンク|バントゥー自治促進法|en|Promotion of Bantu Self-government Act, 1959}}」により[[民族]]や[[部族]]単位に自治区を設ける<ref group="注">ただし、外交や国防、治安についての実権はない。</ref>政策が実施された。
 
===教育分野===