「エルジュビェタ・オストログスカ」の版間の差分

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== 生涯 ==
1553年、エルジュビェタが13歳になると、叔父の[[コンスタンティ・ヴァシーリ・オストログスキ]]公はエルジュビェタの実母ベアタの反対を押し切って、彼女をカーニウ、[[チェルカスィ]]、[[ジトームィル]]の[[スタロスタ|代官]]を務めていたディミトリ・サングシュコ公に嫁がせた。しかし、まもなくディミトリは国王[[ジグムント2世|ジグムント・アウグスト]]に対して無礼を働いたために国外逃亡の必要に迫られたが、ヤロミェルで[[マルチン・ズボロフスキ]]に捕まって殺された。
 
1555年、彼女の後見人でもあった国王はハルシュカをポズナン県、カリシュ県、ウェンチツァ県、ブジェシチ・クヤヴィ県の知事を歴任したウカシュ・グルカと再婚させようとした。しかしこの結婚は、シェミョン・オレルコヴィチ・スウツキ公との結婚を望むハルシュカとその母ベアタの意に反したものであり、母娘は抗議のため[[リヴィウ]]の聖ドミニク教会に逃亡した。シェミョン公は乞食に身をやつしてリヴィウに現れ、1559年ハルシュカと秘密結婚した。だが国王はこの秘密結婚を認めず、エルジュビェタにグルカの元へ戻るよう命令を下した。教会は国王が差し向けた兵士たちに包囲され、母娘は引き渡されて国王の命令に従うほかなくなった。