「マルコマンニ戦争」の版間の差分

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===決死の反撃(171年-176年)===
[[Image:Marcomannia e Sarmatia 171-175 dC jpg.JPGjpg|thumb|right|300px|ドナウ川を渡ってのローマ軍の反攻]]
[[ファイル:detail.from.column.of.marcus.aurelius.arp.jpg|thumb|300px|right|マルクス・アウレリウスの記念柱]]
著しい敗北はアウレリウス帝に当初の計画を再考する事を余儀なくさせた。帝国のあらゆる属州から矢継ぎ早に増援が送り込まれ、本土に迫るバルロマル軍を押さえ込む事に奔走した。ローマ軍の抵抗が続けられる中、栄達を果たした将軍の一人に[[ペルティナクス]]がいる。またアウレリウス帝は本土決戦に備えて「プラエテツゥラ・イタリアエ・エト・アルピウム」(praetentura Italiae et Alpium)という軍組織を新しく創設、同組織は本土へ向かう各地の街道を整備・警備する事を主任務とした。更にローマ海軍の大幅な軍拡を推し進め、ドナウ川艦隊の増強を図った。