削除された内容 追加された内容
m →‎法人化とApple II: 画像サイズの調整など
→‎法人化とApple II: ミスの修正
63行目:
当時34歳のマークラは若くして引退生活を送っていたが、ジョブズの野心とウォズニアックの技術的才能に心を動かされ、復帰して1976年11月にアップルコンピュータに参加した{{sfn|Linzmayer|2004|page=10}}。マークラは自分の個人的資産から9万2000ドルを投資したほか、[[バンク・オブ・アメリカ]]から25万ドルの[[信用供与]]を確保した{{sfn|Linzmayer|2004|page=10}}。マークラは参加の条件として、ウォズニアックがアップルでの仕事にフルタイムで従事することを要求したため、ウォズニアックは迷った末にHPを退社した{{sfn|Swaine|2014|pages=346}}。
 
1977年1月3日、アップルコンピュータは[[法人]]化され、"Apple Computer, Inc." となった{{sfn|Linzmayer|2004|page=10}}。マークラはアップルの成長には経験豊富な経営者が不可欠と考え、[[ナショナル セミコンダクター]]から元同僚の{{ill2|マイケル・スコット (アップル)|en|Michael Scott (Apple)|label=マイケル・スコット}}を引き抜いて初代社長の座につけた{{sfn|Linzmayer|2004|page=11}}。スコットは1977年2月からアップルでの仕事を始め、社員番号を入れた社員証を発行するなど、会社をより組織的にするための施策を実行した{{sfn|Linzmayer|2004|page=11}}{{#tag:ref|社員番号1は、ウォズニアックに与えられたが、ジョブズはこれをスコットに抗議する。しかし、社員番号1を与えればジョブズの放漫が増すと考えたスコットはこれを拒んだ。ジョブズは結局、社員番号0(振込先の銀行が0番に対応していなかったので実務上は2)を手に入れることで妥協した。ちなみにマークラが3番、スコットが7番の社員番号であった(スコットは5番目の社員であったが、社員の増加を見込んで好きな数字を選んだ)|group="注"}}。
 
ウォズニアックはHPを退社する以前からApple Iの改良作業を続けており、1976年8月にはすでに[[Apple II]]の実動するプロトタイプを完成させていた{{sfn|Linzmayer|2004|page=9}}{{sfn|Swaine|2014|pages=345}}。Apple IIは1977年4月16日に[[ウェスト・コースト・コンピュータ・フェア]]で発表された{{sfn|O'Grady|2009|page=3}}。価格は1298ドルで、処理能力の向上と外部[[ディスプレイ (コンピュータ)|ディスプレイ]]へのカラー表示、内部[[拡張スロット]]、内蔵[[キーボード (コンピュータ)|キーボード]]、データ記録用[[データレコーダ|カセットレコーダ]]の実装などを特長としていた。Apple IIは爆発的に売れ、1980年には設置台数で10万台、1984年には設置ベースで200万台を超え、莫大な利益をAppleにもたらした。Apple II発売に際してApple Iを回収、無償交換キャンペーンでバージョンアップ対応したため現存するものは少ない。