「広瀬香美」の版間の差分

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{{Infobox Musician <!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
| Name 名前= 広瀬 香美
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|出生名= <!-- 個人のみ --><!-- 出生時の名前が公表されている場合にのみ記入 -->
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| Born 出生= {{生年月日と年齢|1966|04|12}}
| Origin 出身地= {{JPN}} [[福岡県]][[筑紫野市]]
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| Genre = [[J-POP]]
|学歴= <!-- 個人のみ -->
| Occupation = [[シンガーソングライター]]、[[作詞家]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ラジオパーソナリティ]]、ボイストレーナー
| Years_active ジャンル= [[1992年J-POP]] -
| Occupation 職業= [[シンガーソングライター]]、[[作詞家]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ラジオパーソナリティ]]、ボイストレーナー
| Label = [[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]]
| Instrument 担当楽器= [[ボーカル]]、[[ピアノ]]
| Production = Muse Endeavor inc.
|活動期間= [[1992年]] -
| Associated_acts = [[田村充義]]
| Label レーベル= [[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント]]<br />(1992年 - )
| URL = [http://www.hirose-kohmi.com/ hirose-kohmi.com]
|事務所= [[ビクターミュージックアーツ]]<br />(1992年 - 1996年)<br />オフィスサーティー<br />(1996年 - 2018年)<br />Muse Endeavor inc.<br />(2018年 - )
| Notable_instruments =
| Associated_acts 共同作業者= [[田村充義]]
| Influences =
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| URL 公式サイト= [http://www.hirose-kohmi.com/ hirose-kohmi.com]
|著名使用楽器= <!-- 個人のみ -->
}}
 
'''広瀬 香美'''(ひろせ こうみ、[[1966年]][[4月12日]]<ref>{{Cite web |date= |url=https://kotobank.jp/word/%E5%BA%83%E7%80%AC+%E9%A6%99%E7%BE%8E-1791509 |title=広瀬 香美 |publisher=コトバンク |accessdate=2018-05-31}}</ref> - )は、[[日本]]の女性[[シンガーソングライター]]、[[作詞家]]、[[作曲家]]、[[編曲家]]、[[音楽プロデューサー]]、[[ボイストレーナー]]。[[福岡県]]出身<ref>[https://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A005276.html 広瀬 香美 | プロフィール | ビクターエンタテインメント]</ref>。 Muse Endeavor inc.所属で<ref name="nikkansports20180528">{{Cite news|url= https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201805280000620.html |title= 広瀬香美が新事務所移籍発表「スピーディーに目標」 |newspaper= 日刊スポーツ |publisher= 日刊スポーツ新聞社 |date= 2018-05-28 |accessdate= 2018-05-28 }}</ref>、[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント]]と契約。
 
== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[和歌山県]]で生まれる<ref name="tenshoku102">{{cite web|url= https://tenshoku.mynavi.jp/knowhow/heroes_file/102|title= Heroes File vol.102 シンガー・ソングライター 広瀬香美 思い立ったら即行動|date= |accessdate= 2019-07-06 |publisher= [[朝日新聞]]×[[マイナビ|マイナビ転職]] }}</ref>。6歳まで[[大阪府]][[門真市]]で育った<ref name="gendai">『[[週刊現代]]』 2012年12月15日号 84頁。</ref>。6歳から[[福岡県]][[太宰府市]]育ち<ref name="gendai" />。父は建設関係の職業であった。
[[和歌山県]]で生まれる。父は建設関係の職業であった。5歳より音楽の英才教育を受け、作曲家を志す。6歳まで[[大阪府]][[門真市]]で育った<ref name="gendai">『[[週刊現代]]』 2012年12月15日号 84頁。</ref>。6歳から[[福岡県]][[太宰府市]]育ち<ref name="gendai" />。「手に職を付けてもらいたい」という母の意向で、4歳から[[ピアノ]]、そして5歳から[[和声学]]など[[クラシック音楽]]の[[作曲法]]を習い始めた。練習をしなければ夕食抜きになるなど、学習は非常に過酷であった。第1号作品を完成させたのは6歳で、タイトルは「パパとママ」である(この曲は2001年から2002年に行われた初めてのコンサートツアーで弾き語りにより披露された)。初めて買った[[レコード]]は[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の『[[マタイ受難曲]]』。「この作品には作曲法が詰まっていて、作曲のルールを身につけるための勉強になるから」という先生からの教えで、夕食中などにも聴き続けていた。
 
[[和歌山県]]で生まれる。父は建設関係職業方針あった。53よりの頃から[[クラシック音楽]]の英才教育を受け、6歳の頃には作曲家を志す。6歳まで[[大阪府]][[門真市]]で育っも始めていた<ref name="gendaitenshoku102">『[[週刊現代]]』 2012年12月15日号 84頁。</ref>。6歳から[[福岡県]][[太宰府市]]育ち<ref name="gendai" />。「手に職を付けてもらいたい」という母の意向で、4歳から[[ピアノ]]、そして5歳から[[和声学]]など[[クラシック音楽]]の[[作曲法]]を習い始めた。練習をしなければ夕食抜きになるなど、学習は非常に過酷であった。第1号作品を完成させたのは6歳で、タイトルは「パパとママ」である(この曲は2001年から2002年に行われた初めてのコンサートツアーで弾き語りにより披露された)。初めて買った[[レコード]]は[[ヨハン・ゼバスティアン・バッハ|バッハ]]の『[[マタイ受難曲]]』。「この作品には作曲法が詰まっていて、作曲のルールを身につけるための勉強になるから」という先生からの教えで、夕食中などにも聴き続けていた。
 
小・中学生の頃が自身の作曲家人生のピークだったと本人が語っている<ref name="トップランナー">[[日本放送協会|NHK]]『[[トップランナー]]』1999年</ref>。日夜、夢の中でもひたすらメロディを考え、頭の中に浮かべ続けていたという。新しいメロディが浮ぶと、その場ですぐ紙に[[五線譜]]を書いてメモを取っていた。後年に広瀬が発表した楽曲の中には、こうして子供時代に作ったメロディを使ったものも多い。元々人が歌うのではなく、ピアノや[[ヴァイオリン]]などの器楽曲として書いたものだったことは、メロディの起伏が激しいという特徴につながっている。
 
中学、高校生時代にはよく通学中に作曲していたという。「[[ロマンスの神様]]」の[[サビ]]以外の部分は[[西日本鉄道|西鉄]][[井尻駅]]前バス停で、「[[愛があれば大丈夫]]」のサビは井尻六ツ角交差点の歩道橋の上で作られた<ref>[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系『[[アリゾナの魔法]]』2004年</ref>。東京の音大を目指し、地元福岡での勉強に加えて2週間に1度は飛行機で東京にレッスンに通っていた<ref name="tenshoku102"/>。
 
[[福岡女学院中学校・高等学校]](音楽科)卒業後、[[国立音楽大学]][[音楽学部]][[作曲学科]]に進学する。しかし学科内での成績は悪く、講師から「何になりたい?」と尋ねられて「作曲家」と答えるも「無理」と言われた<ref name="トップランナー" />。幼少期から養った音楽理論と自身の夢を否定された広瀬は、気分転換を兼ねて高校時代の友人を訪ねるため[[ロサンゼルス]](LA)へと旅立った。そこで、[[マイケル・ジャクソン]]や[[マドンナ (歌手)|マドンナ]]のライブを観て感激し、[[ポップ・ミュージック]]に目覚める。「自分が書き溜めてきたクラシックの楽曲を編曲してマイケル・ジャクソンが歌ったら売れるのでは」と考え、「マイケルに楽曲提供したい」という夢が生まれた<ref name="トップランナー" />。そして夢に少しでも近づくためポップ・ミュージックの勉強を開始、広瀬にとって大きな転機となった。
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