「マーロン・ブランド」の版間の差分

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=== 没落 ===
[[ファイル:Marlon_Brando_1963.jpg|right|200px|thumb|[[1963年]]、[[ワシントン大行進]]にて]]
ハリウッドに入った頃から、自分が気に入った脚本を厳選して、一級の作品にしか出ないことで知られていたが、父の投資の失敗の穴埋めのために現金が必要となったことから、[[1960年代]]に入ると内容のない二流作品にも多数出演するようになった。さらに様々なトラブルを起こしていたことから映画会社や監督らから嫌われ、俳優としての評価もギャラも下がっていった。
 
[[1967年]]に[[フランス]]の[[植民地]]である[[タヒチ]]諸島の[[テティアロア]][[環礁]]を所有してからは、役者稼業を「島の環境維持の資金稼ぎ」と割り切るようになる。同年、コメディ色が強い[[チャールズ・チャップリン]]の映画『[[伯爵夫人 (映画)|伯爵夫人]]』に主演で契約。チャップリンが自宅へ招き、自ら実技指導をしてくれるが本人は居眠りをし、撮影中もチャップリンと口論となり映画も失敗に終わる。共演者の[[ソフィア・ローレン]]からも「彼はコメディに不向き」と評される。ちなみにブランドによるローレン評は「彼女は息が臭かった」<ref>{{cite news|newspaper = Daily Mail |date = 2014-06-25}}</ref>。