「ピエール=アンリ・ド・ヴァランシエンヌ」の版間の差分

m
(de:Pierre-Henri de Valenciennes 13:16, 2. Jul. 2018‎の一部訳)
 
 
== 略歴 ==
[[トゥールーズ]]で生まれた。父親はかつらの製造業者で、母親は家具商人の娘だった。10代にはバイオリン演奏を学んだが、1770年頃トゥールーズの王立美術学校で美術を学んだ。この頃、南フランスへの旅も行い、18691769年にはローマも訪れている。
 
有力者のデュブール家から支援を受け、叔母が有力な政治家[[エティエンヌ・フランソワ・ド・ショワズール]]公爵の近侍と結婚していて、公爵の支援も受けた。
ショワズ公爵の推薦で1772年からパリでガブリエル・フランソワ・ドワイアンの指導を受けるようになった。ドワイアンのスタジオではユベール・ロベールと出会い、強い影響を受けた。1778年に初めてパリの展覧会に出展した。
 
パトロンの支援されて、1777年から1785年の間はおもにローマに滞在し、シシリーやナポリにも滞在した。1785年にパリに戻り、1787年に[[王立絵画彫刻アカデミー]]の会員に選ばれた。[[サロン・ド・パリ]]にも出展を始め、19051805年には金賞を得た。
 
王立絵画彫刻アカデミーや高等専門学校で風景画を教え、著名な画家には[[ジャン=ヴィクトール・ベルタン]]、ルイ=フランソワ・ルジューン、[[アシール=エトナ・ミシャロン]]、ルイ・エティエンヌ・ワトレらがいる。[[レジオンドヌール勲章]](シュバリエ)を受勲した。