「京都市左京区の町名」の版間の差分

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区の南西端、鴨川の東、[[二条通]]の南北の地区の町名は、広域地名を冠称しない単独町名となっている。この地区は二条川東と称され、宝永5年(1708年)の洛中の大火後、焼け出された住民が移転してきて新たな町をつくったものが多い。
 
現行の町名、町界は近世のそれがおおむね引き継がれている。ただし、新東洞院町、菊鉾町、新車屋町、大菊町、新丸太町は明治2年(1869年)に近隣の数か町が合併して成立した町名であり、石原町は明治16年(1883年)、[[愛宕郡]][[聖護院村]]の一部が当時の上京区に編入された際に成立したものである。
 
明治元年(1868年)、京都府が成立すると、これらの町を含む上京の町は上京1 - 45番組に組織された。これらの町組は、その後たび重なる変遷を経て、明治25年(1892年)には計28 の「学区」に組織された(明治以降の行政区画の変遷については別項「[[京都市上京区の町名]]」を参照)。左京区に属するのはそのうちの第27及び第28学区であり、昭和4年(1929年)には小学校名を付してそれぞれ錦林学区及び新洞学区と呼称されるようになった。これらの学区は昭和16年(1941年)に廃止されており、現在では正式の地区名ではないが、その後も「[[京都の元学区|元学区]]」として、地区の呼称に用いられている。
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=== 明治21年(1888年)編入地区の町名(その1) ===
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町名に「'''[[岡崎 (京都市)|岡崎]]'''」を冠称する地区は、もとの[[愛宕郡]](おたぎぐん)岡崎村である。岡崎村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区岡崎町となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区岡崎町となった。大正7年(1918年)には岡崎町を廃し、「岡崎」を冠称する13町及び黒谷町(冠称なし)に編成された。これら14町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。その後、昭和33年に岡崎東天王町が成立し、「岡崎」を冠称する町名は計14、その他の町名1(黒谷町)となっている。
 
町名に「'''聖護院'''」を冠称する地区は、もとの愛宕郡[[聖護院村]]である。聖護院村は、市制町村制施行以前の明治21年(1888年)、当時の上京区に編入され、上京区[[聖護院町]]となった。明治22年には京都市制に伴い、京都市上京区聖護院町となった。大正7年(1918年)には聖護院町を廃し、「聖護院」を冠称する8町に編成された。これら8町は、昭和4年の左京区成立後は、同区の町となった。
昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「字XX」の区域はすべて「XX町」と改称された。この際、「南禅寺」として存続していた区域は南禅寺南禅寺山町、南禅寺風呂山町となった。以上により、現在は「南禅寺」を冠称する町名が6、その他の町名が2(永観堂町、永観堂西町)となっている。
 
=== 明治21年(1888年)編入地区の町名(その2) ===
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*(昭和18年廃止)上・下開町
 
「'''[[北白川]]'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡[[白川村 (京都府)|白川村]]で、大正7年(1918年)、当時の上京区に編入された。白川村には大字はなく、旧村域は大正7年、一部が「北白川」を冠称する12町(仕伏町、上池田町、下池田町、上終町、別当町、小倉町、久保田町、西町、追分町、平井町、伊織町、琵琶町)に編成され、残余は大字北白川となった。
 
昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「大字○○字XX」の区域はすべて「町」となり、「○○XX町」と改称された。この際、大字北白川として存続していた区域は「北白川」を冠称する13町となった。この他、以下のような町名町界の変更を経て、「北白川」を冠称する町は43町となっている。
*(昭和14年成立)東・西平井町、蔦町、東・西蔦町
 
「'''[[下鴨]]'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡[[下鴨村]]で、大正7年(1918年)、当時の上京区に編入された。下鴨村には大字はなく、旧村域は大正7年、「下鴨」を冠称する17町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「下鴨」を冠称する町は46町となっている。
 
*(昭和13年成立)塚本町、東塚本町、岸本町、東岸本町、梅ノ木町、東・西梅ノ木町、本町、東・西本町、東森ケ前町、東・西高木町
*(昭和14年成立)東・西半木町、貴船町
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「一乗寺」「修学院」「山端」及び「上高野」を冠称する町名は、もとの愛宕郡[[修学院村]]で、昭和6年(1918年)、左京区に編入された。修学院村には一乗寺、修学院、高野の3つの大字があったが、このうち大字一乗寺は昭和6年、「'''[[一乗寺 (京都市の地名)|一乗寺]]'''」を冠称する91町に編成された。その後、以下のような町名町界の変更を経て、「一乗寺」を冠称する町は89町となっている。
*(昭和42年成立)東・西閉河原町、東・西杉ノ宮町、北・南大丸町、東・西水干町
*(昭和42年廃止)杉ノ宮町、大丸町、水干町、神戸町、四十町、辻ノ町、閉河原町、宮ノ西町、目空尻町、横枕町
 
大字修学院は昭和6年、大部分が「'''修学院'''」を冠称する52町、及び「'''山端'''」(やまばな)を冠称する11町に編成され、残余は大字修学院として残された。
 
昭和40年(1965年)、当時の京都市内各所に残存していた「大字○○字XX」の区域はすべて「町」となり、「○○XX町」と改称された。この際、「左京区大字修学院」として存続していた区域は修学院山神町、修学院高岸町、修学院松本町の3町となった。以上により、現在は「修学院」を冠称する町名は55となっている。
 
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「'''松ケ崎'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡[[松ヶ崎村 (京都府)|松ケ崎村]]で、昭和6年(1931年)、左京区に編入された。松ケ崎村には大字はなく、旧村域は昭和6年、大部分が「松ケ崎」を冠称する55町に編成され、残余は左京区字鞍馬田、字糺田として残された。その後、以下の変更を経て、「松ケ崎」を冠称する町名は59町となっている。
*(昭和15年成立)松ケ崎鞍馬田町、松ケ崎糺田町(小字から町に変更)
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|鞍馬本町、鞍馬二ノ瀬町、[[貴船|鞍馬貴船町]]
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「'''[[岩倉 (京都市)|岩倉]]'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡[[岩倉村 (京都府)|岩倉村]]で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。岩倉村には岩倉、中、長谷、幡枝、花園の5つの大字があったが、このうち大字岩倉は昭和24年、「岩倉」を冠称する9町に編成され、残余の4大字は岩倉中町、岩倉長谷町、岩倉幡枝町、岩倉花園町となった。その後、土地区画整理事業実施に伴い、昭和55年(1980年)、南三宅町、中・西大鷺町、南四ノ坪町、南桑原町、東・西五反田町、東・西宮田町、南平岡町、北・南池田町の12町が成立し、平成26年(2014年)、岩倉北桑原町、岩倉北平岡町、岩倉北四ノ坪町、岩倉中河原町、岩倉三笠町、岩倉南河原町、岩倉南木野町の7町が成立し、「岩倉」を冠称する町は32町となっている。
 
「'''[[八瀬 (京都市)|八瀬]]'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡八瀬村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。八瀬村には大字はなく、旧村域は昭和24年、「八瀬」を冠称する4町に編成された。
 
「'''[[大原 (京都市)|大原]]'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡大原村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。大原村には大原、小出石、百井、大見、尾越の5つの大字があったが、このうち大字大原は昭和24年、「大原」を冠称する9町に編成され、残余の4大字は大原小出石町、大原百井町、大原大見町、大原尾越町となった。
 
「'''静市'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡静市野村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。静市野村には静原、市原、野中の3つの大字があったが、これらは「静市」を冠称し旧大字名を継承する3町に編成された。
「'''花脊'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡花脊村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。花脊村には原地新田、別所、大布施、八桝の4つの大字があったが、うち大字原地新田は花脊原地町となり、残余は「花脊」を冠称し旧大字名を継承する3町に編成された。
 
「'''広河原'''」を冠称する町名は、昭和30年(1955年)までは[[北桑田郡]][[黒田村 (京都府)|黒田村]]大字広河原で、同年、黒田村が他の1町4村と合併して北桑田郡[[京北町]]となってからは京北町大字広河原となった。広河原地区は京北町の中心部から遠く離れ、地理的にも京都市方面とのつながりが強いことから、昭和32年(1957年)左京区に編入され、「広河原」を冠称する5町に編成された。
 
「'''[[久多]]'''」を冠称する町名は、もとの愛宕郡久多村で、昭和24年(1949年)、左京区に編入された。久多村には大字はなく、旧村域は昭和24年、「久多」を冠称する5町に編成された。
 
== 備考 ==