「大坂の陣」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
出典提示のないテキストの除去
m lk
279行目:
 
=== 家康討死伝承 ===
堺市にある[[南宗寺]]には「[[大坂夏の陣]]で[[茶臼山]]の激戦に敗れた[[徳川家康]]は、[[駕籠]]で逃げる途中で[[後藤基次|後藤又兵衛]]の槍に突かれ、辛くも堺まで落ち延びるも、駕籠を開けると既に事切れていた。ひとまず遺骸を南宗寺の開山堂下に隠し、後に改葬した」との異伝を伝えている(『南宗寺史』)。当地にはかつて[[東照宮]]もあり、元和9年([[1623年]])の将軍宣下の折に2代[[徳川秀忠|秀忠]](7月10日)、3代[[徳川家光|家光]](8月18日)が相次ぎ参詣している。[[第二次世界大戦|戦災]]で失われ、現在の「東照宮 徳川家康墓」と銘のある墓標は、かつての[[水戸徳川家]]家老裔の三木啓次郎が[[昭和]]42年([[1967年]])に再建したものだが、墓標近くには[[山岡鉄舟]]筆と伝わる「この無名塔を家康の墓と認める」との碑文も残る。<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkei.com/article/DGXNASIH22004_T20C12A8AA2P00/|title=大阪・堺に「徳川家康の墓」の謎 夏の陣で討ち死に伝説|author=[[日本経済新聞]]堺支局長 原明彦|publisher=日本経済新聞|work=日本経済新聞大阪夕刊いまドキ関西|date=2012-09-01|accessdate=2016-01-14}}</ref>
 
=== 大坂城攻城法伝承 ===