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名称=宮中三殿|
画像=|
所在地={{JPN}}・[[東京都]][[千代田区]][[千代田 (千代田区)|千代田]]1番1号|
位置={{ウィキ座標2段度分秒|35|40|54|N|139|44|59|E|}}|
祭神=賢所:[[天照大神]]<br/>皇霊殿:[[天皇の一覧|歴代天皇]]・[[皇族]]の霊<br />神殿:[[天神地祇]]|
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== 概要 ==
{{Double image aside|right|Emperor Akihito 199011 1.jpg|188|Emperor Akihito, Daijosai (1990).jpg|172|[[黄櫨染御袍]]と御祭服を着用した[[天皇]]在位時代の[[上皇明仁|明仁]]}}
宮中三殿は、皇居内にある三つの連結された建造物の総称である。それぞれ、[[神道]]の[[神 (神道)|神]]を祀っており、[[宮中祭祀]](皇室祭祀)の中心となる。
 
宮中三殿の構内には、附属するいくつかの建造物が配置されている。[[四方拝]]、[[新嘗祭]]が行われる'''神嘉殿'''(しんかでん)、[[鎮魂祭]]や[[天皇]][[皇后]]の装束への着替えが行われる'''綾綺殿'''(りょうきでん)、[[神楽]]が行われる'''神楽舎'''(かぐらしゃ)、楽師が[[雅楽]]を演奏する'''奏楽舎'''(そうがくしゃ)、列席者が待機する'''左幄舎'''(ひだりあくしゃ)と'''右幄舎'''(みぎあくしゃ)、賢所に正対する'''賢所正門'''、新嘉殿に正対する'''新嘉門'''などである。
 
宮中三殿では、皇室祭祀のことをつかさどるため、国家行政機関たる[[宮内庁]]の組織とは別の内廷の組織として、'''[[掌典職]]'''が置かれる<ref>{{Cite news |title= 宮中祭祀|newspaper= |date= |author= 宮内庁|url= http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi.html|accessdate= 2014-10-02}}</ref>。掌典職は、掌典長の統括の下に、掌典次長・掌典・内掌典などが置かれている。毎朝、午前8時から、賢所、皇霊殿では内掌典(女性、[[巫女]])が、神殿では掌典が、[[清酒]]、[[赤飯]]などを供える「日供の儀」(にっくのぎ)をそれぞれ行う。続いて、午前8時30分には、[[宮内庁侍従職]]の当直侍従が、賢所、皇霊殿、神殿を天皇に代わって拝礼する「毎朝御代拝」(まいちょうごだいはい)を行う。日供の儀及び毎朝御代拝の各儀式は、[[廃朝]](天皇が執務しないこと)や宮中喪が発せられていても、欠かさず行われる。
 
宮中三殿の祭祀は、[[明治維新]]から宮中祭祀の変遷と漸次的集約を経て、[[教部省]]が成立した直後の[[明治5年]]5年[[4月2日 (旧暦)|4月2日]]([[1872年]][[5月8日]])に整ったと解されている<ref>{{Cite news |title= 維新期「宮中三殿」成立史の一考察―毎朝御拝「石灰壇」祭祀の終焉として―|newspaper= 明治聖徳記念学会紀要〔復刊第45号〕|date= 2008-11|author= 石野浩司|url= http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f45-4.pdf|accessdate= 2014-10-02}}</ref>。このとき鎮座された皇居内の砂拝殿は、翌[[1873年]](明治6年)に皇居西之丸から出火の際に類焼したため、赤坂仮御所へ動座された。現在の宮中三殿の建物は、[[1888年]](明治21年)10月に竣工し、翌[[1889年]](明治22年)1)[[1月9日]]に遷座された。[[第二次世界大戦]]中の[[1944年]](昭和19年)には[[空襲]]を避けるため皇居内の[[防空壕]]へ動座され(翌[[1945年]](昭和20年)の終戦により戻る)、[[2004年]](平成16年)6)[[6月18日]]には建物の耐震劣化調査のため数十メートル離れた場所に設置した'''仮殿'''(かりどの)へ一時的に動座された(同月27日に戻る)。
 
== 賢所 ==
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== 皇霊殿 ==
歴代[[天皇]]および[[皇族]]の霊を祀る。[[明治]]に再興された[[神祇官]]が附属の神殿を創建し、併せて歴代天皇の霊を祀った。このため、[[平安時代]]より宮中の歴代天皇を仏式で祀っていた「[[黒戸]]」は廃止された。
 
神祇官の[[神祇省]]への降格に伴い、[[明治]]4年([[1871年]])9月に宮中に遷座し、賢所と共に「皇廟」と呼ばれた。明治11年には皇妃や皇族の霊も合祀。天皇・皇族の霊は、死後1年をもって皇霊殿に合祀される。毎年[[春分の日]]と[[秋分の日]]には春季、秋季の[[皇霊祭]]が行われる。
 
== 神殿 ==