「桜花 (航空機)」の版間の差分

編集の要約なし
(出典つきで加筆)
量産機の製造開始前に練習機(複座)K2も2機製造されていた。また地上発射用の基地の建設も進められていた。(下表参照)桜花43乙型は、東京から発射すれば滑空も含めて名古屋までは飛行できる航続距離とする計画であり、発射基地は海岸ではなく内陸に作られている。それで各基地のカタパルト1基につき桜花を5〜10機準備する予定であった。桜花43乙型発射基地の内で、先に完成したのは[[比叡山]](既に完成していた為下表に表記なし)であり、次いで[[武山]]の基地が完成した。武山ではカタパルトからの桜花の射出実験も行われ成功している。その後、43乙型の実戦部隊である第725航空隊が編成されたが、出撃することなく終戦を迎えた<ref>木俣滋郎『桜花特攻隊』P.259</ref>。
 
このとき残された桜花発射用のレールが、[[三芳村 (千葉県)|三芳村]]の知恩院という寺の片隅に保存されている。三芳村の平和会が、年に約3回程度草刈りをして手入れしている。[[比叡山延暦寺]]近隣のカタパルト建設と桜花の輸送に[[比叡山鉄道比叡山鉄道線|比叡山鉄道]]のケーブルカー]]が接収された。カタパルトは終戦直後に連合国軍の手で爆破された、との記録が有る<ref>大津市市制100周年企画展「大津の鉄道百科展」の展示より</ref>。カタパルトの金属は戦後復興期に持ち逃げされ、跡地は[[比叡山ドライブウェイ]]の一部となっている<ref>加藤浩『神雷部隊始末記』P.471</ref>。
 
2015年に大分県宇佐市の地域おこし団体「豊の国宇佐市塾」によって、比叡山の桜花訓練基地の様子をアメリカ軍が終戦直後の1945年9月に撮影した映像がアメリカ国立公文書館で発見された。その映像には山頂の基地まで備え付けのケーブルカーで上る様子や、建築途中の基地の様子、桜花発射の為のカタパルトなどが写っていた<ref>[http://www.sankei.com/west/news/150819/wst1508190024-n1.html 「特攻兵器「桜花」の秘密訓練基地の映像を発見…専門家は「衝撃映像だ」 京都、滋賀をまたぐ比叡山中」2015年8月19日 産経新聞]</ref>。
40,395

回編集