「忠臣蔵」の版間の差分

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「脇坂安照」より忠臣蔵関連の創作を編入。
119行目:
殿中刃傷があった直後、播磨龍野藩主[[脇坂安照]]が隣藩の藩主である浅野長矩の無念を思いやって抱きかかえられて運ばれる吉良義央とわざとぶつかり、吉良の血で大紋の家紋を汚すと、それを理由にして「無礼者」と吉良を殴りつける。諸大夫の五位が四品の高家に暴行に及んだ咎で脇坂は老中に罰せられ、赤穂城は与えられる可能性のあった脇坂家でなく永井家のものとなる<ref>実際の脇坂への処分は、赤穂城にて在番していた脇坂重臣の左次兵衛が乱心して、同僚の貞右衛門を切り殺すという事件が起こった為である(『赤穂城在番日記』)。</ref>。
 
この話1912年の浪曲の筆記本にすでに見える<ref>[{{NDLDC|908074/33}} 近代デジタルライブラリ元禄快挙四十七士]</ref>が、史実としての確認はできず、伝承・巷談の域を出ない。
 
なお、史実において脇坂安照は赤穂城受け取りの時の正使であった<ref>[https://kotobank.jp/word/%E8%84%87%E5%9D%82%E5%AE%89%E7%85%A7-1121454 コトバンクデジタル版 日本人名大辞典+Plus脇坂安照]</ref>。