「文化大革命」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Caesar1960 (会話 | 投稿記録)
→‎関連文献: 文献追加
中国語でも「文革」と略称している
29行目:
{{中華人民共和国}}
{{毛沢東思想のサイドバー}}
'''文化大革命'''(ぶんかだいかくめい)とは、[[中華人民共和国]]で[[1966年]]<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD-128350 コトバンク> ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典> 文化大革命とは]</ref>から[[1976年]]まで続き、[[1977年]]に終結宣言がなされた、[[毛沢東]]主導による革命運動である。全称は'''無産階級文化大革命'''(簡体字: {{Lang|zh-hans|无产阶级文化大革命}}, 繁体字: {{Lang|zh-hant|無產階級文化大革命}})、[[日本語]]の略称は'''文革'''(ぶんかく)。
 
名目は「封建的文化、[[資本主義]][[文化]]を批判し、新しく[[社会主義]]文化を創生しよう」という[[政治]]・[[社会]]・[[思想]]・[[文化]]の[[改革運動]]だった。実際は、[[大躍進政策]]の失敗によって[[中華人民共和国主席|国家主席]]の地位を[[劉少奇]][[中国共産党中央委員会副主席|党副主席]]に譲った[[毛沢東]][[中国共産党中央委員会主席|共産党主席]]が自身の復権を画策し、[[紅衛兵]]と呼ばれた[[学生運動]]を扇動して政敵を攻撃させ、失脚に追い込むための、[[中国共産党]]内部での権力闘争だった。それを毛自身が[[スチューデント・パワー]]や[[ベトナム戦争]]への[[反戦運動]]などに沸騰する世界と巧みに結びつけた。それにより毛沢東自身の著書「[[毛主席語録]]」は三十カ国以上に翻訳される大ベストセラーとなり、世界に[[農本思想]]的な「[[毛沢東思想]]」を強く印象づけ、各国の知識人や政治、大衆運動、[[ヒッピー]]などの[[カウンター・カルチャー|対抗文化]]に大きな影響を与えた。特に当時のフランスでの毛沢東熱は非常に高く、パリの[[五月危機|五月革命]]では運動の連帯を強固なものにする重要なイコンとなった。