「常盤井宮恒直親王」の版間の差分

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5代当主・[[常盤井宮全明親王|全明親王]]の子として生まれ、[[永正]]9年([[1512年]])11月に[[親王宣下]]される(『[[実隆公記]]』)。その後[[大宰帥]]に任じられ、[[後柏原天皇|後柏原院]]の[[猶子]]となる。永正10年7月25日の夜、[[清水寺]]参詣中に[[盗賊]]に襲撃されて負傷したという。
 
天文21年([[1552年]])に薨去。その後の子孫は不詳で、恒直親王を以って[[亀山天皇]]に始まる[[大覚寺統]]の正統は事実上断絶した。宮家としての常磐井宮は歴史の表舞台から消えたが、血脈は21世紀の現代でも続いてる。 皇族ではないが、[[常磐井氏]]がその末裔である
 
==参考文献==