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チューリングと秘話との関係は Delilah 開発後も続いた。チューリングは暗号の専門家であると同時に、この当時のアメリカとイギリスの最先端の秘話技術を理解できる数少ないメンバーだった。ヨーロッパでの戦闘が終結した直後、チューリングはイギリスの秘話専門家としてドイツのフォイヤーシュタイン研究所に行き、フィアリング博士らが現地で開発中だった秘話装置の調査も行った<ref name="AT_HisWorkp450">''Alan Turing: His Work and Impact'', p.450.</ref><ref name="Tompkins2010p190-194">''How to Wreck a Nice Beach'', pp.190-194.</ref>。この当時、アメリカとイギリスとはドイツの[[諜報活動|諜報]]や[[暗号]]と秘話に関する情報、関係者、装置類の捕獲を目的とする''TICOM'' (Target Intelligence Committee) を組織してドイツ降伏前から多くの活動を行っており、チューリングはこの活動に関係していた<ref name="AT_HisWorkp450" /><ref name="Tompkins2010p190-194" /><ref name="TICOM I-57M-6I-44">例えば、TICOMの秘話関連の極秘レポート[https://docs.google.com/file/d/0B_oIJbGCCNYeZDZkNmQzYTUtZjc2Ny00ZGRkLTg0MzgtYjVmNzMwMTFiMWJh/edit?hl=en_US&pli=1 ''I-57, Enciphering Devices Worked on by Dr. LIEBKNECHT at Wa Pruef 7.'']、M-6 ''Interim Report on Labortorium Feuerstein''、I-44 ''Memorandum on Speech Encipherment Apparatus'' の配布先にはチューリング博士の名前がある。</ref>。
 
==== ソビエト連邦 ====
[[ファイル:Vladimir Kotelnikov, October 2003.jpg|thumb|ロシア国内で秘話の父と呼ばれることもあるウラジーミル・コテルニコフの2003年10月時点の写真。]]
[[第二次世界大戦]]前の[[ソビエト連邦]]の秘話の技術水準は低くドイツの製品などを輸入する状態だったが、徐々に自主技術での開発を行えるようになった。第二次世界大戦の後半頃になると技術は急速に進歩した。
===== ソビエト連邦での秘話の夜明け =====
ソビエト連邦での秘密通信の研究自体は古く、1920年にエンジニアのボンチ=ブルエヴィッチ (M. A. Bonch-Bruevich) は音声を記録して複数のブロックに切り分け配置換えをして送信を行い、受信側で元の配置に戻す方式を考案していたという<ref name="Larin2011-20-40e">{{Cite web
| title = Советская шифровальная служба: 1920 - 40e(ソビエト連邦の暗号化活動:1920-1940e){{ru icon}}
| url = http://www.agentura.ru/press/about/jointprojects/inside-zi/sovietcryptoservice/
| format =
| publisher =
| date = 2011-09-03
| accessdate = 2013-12-18}}</ref>。1927-28年にはソビエト連邦で最初の秘密野戦電話機の開発が[[赤軍]]通信科学研究所 (NIIS RKKA) で行われた
<ref name="Larin2011WW2p69">''[http://elar.urfu.ru/handle/10995/18985 第二次世界大戦中のソビエト連邦の暗号化活動]''([http://elar.urfu.ru/bitstream/10995/18985/1/iurp-2011-86-10.pdf PDF版]){{ru icon}}, p.69.</ref>。
1930年代、秘密通信用の電話機研究は、郵政電信人民委員部研究所 (NKPiT)、[[赤軍]]通信科学研究所 (NIIS RKKA)、コミンテルン工場の無線装置研究所、[[レニングラード]]の電話工場"クラスナヤ・ザリャー"({{lang-ru-short|Красная Заря}}、"赤い夜明け"の意)、海軍の通信・遠隔制御研究所、第20電気工学研究所 (No20 NKEP)、[[内務人民委員部]] (NKVD) の研究所の7か所で行われていた<ref name="Larin2011WW2p69" />。
===== ソビエト連邦とESインバータ =====
1930年頃は研究者の数も少なく5名から10名程度のグループの集まりにすぎなかったが<ref name="KalachevCh2">{{Cite web
| title = В КРУГЕ ТРЕТЬЕМ - ГЛАВА II. НАЧАЛО РАБОТ ПО СЕКРЕТНОЙ ТЕЛЕФОНИИ(第三圏のなかで - 第二章 秘話電話の仕事の開始){{ru icon}}
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| publisher =
| date = 1999
| accessdate = 2013-12-18}}</ref>、国際関係が緊張を増してきた1930年代後半になると秘話についての本格的な研究と装置の開発が行われるようになった<ref name="Larin2011WW2p70">''[http://elar.urfu.ru/handle/10995/18985 第二次世界大戦中のソビエト連邦の暗号化活動]''([http://elar.urfu.ru/bitstream/10995/18985/1/iurp-2011-86-10.pdf PDF版]){{ru icon}}, p.70.</ref>。この当時、主要都市である[[モスクワ]]-[[レニングラード]]間や[[モスクワ]]-[[ハルキウ]]間には政府専用の長距離電話回線が設置されており、"クラスナヤ・ザリャー"工場で作られた10.4kHz〜38.4kHzの周波数を使う多重搬送電話装置SMT-34が使われていた<ref name="Larin2011-20-40e" />。[[高周波]]を使って送受信する方式なので通常の電話機を電話回線に直接つないでも会話の内容は聞きとれないが、特別な秘話機能が備わっているわけではないため盗聴の危険性が以前から指摘されていた。
 
1936年8月には、長距離電話回線から50m以内の距離で並行にアンテナを張り[[長波]]受信機で受信することで盗聴が可能なことを[[内務人民委員部]]の国家保安総局(NKVD GUGB、後の[[KGB]])が報告している<ref name="Larin2011-20-40e" />。1937年にはモスクワ-ポーランド間の長距離電話回線で国境から1.5km離れたポーランド側に盗聴用回線が設置されていたのが発見された<ref name="Larin2011-20-40e" />。このような状況から秘話装置の開発が急務になっており、国家保安総局は関連部署に秘話装置の開発を緊急要請していた。この当時、ソビエト連邦内での秘話の技術水準は低く、モスクワ内の無線電話にはアメリカ製の秘話装置が使われ、モスクワーレニングラード間の電話回線用の秘話装置としてドイツの[[シーメンス]]社のものが試験されていた<ref name="Larin2011-20-40e" />。
 
1935-36年頃レニングラードの"クラスナヤ・ザリャー"工場の研究所でESインバータ({{lang-ru-short|инвертор ЕС}})と呼ばれる単純な秘話装置が開発された<ref name="Larin2011WW2p70" />。これは研究所リーダーのエゴロフ (K. P. Egorov) とスタリチーナ (G. V. Staritsyna) が設計したもので、設計者の頭文字から名前が付けられた。次の年には改良版のES-2が開発された。秘話性はまだまだ低く、普通の単語や文章は十分に聞き取れなくなるが、数字のみであれば完全に聞き分けが可能な程度の性能だった<ref name="Larin2011-20-40e" />。プロトタイプを用いた[[モスクワ]]-[[ソチ]]間の長距離電話回線を用いた試験では通信回線の品質に影響されやすい問題もあったが、1937年9月にモスクワ-レニングラード間の電話回線で正式採用された<ref name="Larin2011-20-40e" />。1937年に設計者のイリンスキー (Ilyinsky) の頭文字を加えた無線通信用のEIS-3の開発も行われた。ES-2({{lang-ru-short|ЕС-2}})をベースにして1938年から1940年の間に様々な改良を加えた262種類の秘話装置(ЕС-2М、МЕС、МЕС-2、МЕС-2А、МЕС-2АЖ、ПЖ-8、ПЖ-8Мなど)が開発された<ref name="Larin2011WW2p70" /><ref name="KalachevCh2" />。これらは音声周波数反転方式をベースに余分な音を加えて聞き取りにくくする改良を加えたものだった<ref name="Larin2011WW2p70" />。
 
これらの秘話装置は長距離電話回線で使われたが、1940年に内務人民委員部が行った"クラスナヤ・ザリャー"の製品に対する評価は低く、秘話性が不十分で[[暗号鍵]]に相当するものも無いというかなり厳しいものだった<ref name="Larin2011-20-40e" />。第二次世界大戦が始まる直前くらいになると各国で秘話の研究は急速に進んでいた。音声周波数反転方式に改良を加えた程度の単純な秘話装置は軍事用や政府高官用として不十分だと考えられており、解読が困難で戦場でも使用できる優れた秘話装置の開発が急務となっていた。
ソビエト連邦でも、1938年に郵政電信人民委員部研究所 (NKPiT) など2つの研究所をまとめていた[[ウラジーミル・コテルニコフ]] (Vladimir Kotelnikov) は、より秘話性の高めた秘話装置S-1("Sable"、{{lang-ru-short|Соболь}}、"[[クロテン]]"の意)の開発を行い試験を行っていた<ref name="Larin2011WW2p71">''第二次世界大戦中のソビエト連邦の暗号化活動''{{ru icon}}, p.71.</ref>。
===== ソビエト連邦とSable-P =====
1939年、政府の極秘レベルの音声通信に使えるような秘話装置の開発が重要な国家目標となり、コテルニコフが責任者になり開発が進められることになった<ref name="Larin2011WW2p71" />。コテルニコフはアメリカの[[ハリー・ナイキスト]]や[[クロード・シャノン]]と独立に[[サンプリング定理]]を発見した<ref>Vladimir Kotelnikov. ''On the transmission capacity of "ether" and wire in electrocommunications'', [http://ict.open.ac.uk/classics/1.pdf (英訳版)] (PDF), Izd. Red. Upr. Svyazzi RKKA, 1933.</ref>ソビエト連邦の著名な[[無線工学]]と[[情報理論]]の研究者で<ref name="IEEEKotelnikov">{{Cite web
| author = Chris Bissell
| title = Vladimir A. Kotelnikov
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[[ファイル:Stalin Museum Batumi.jpg|thumb|通信の重要性を認識していた[[スターリン]]は秘話装置の開発を重要な国家目標とした。]]
この当時、ソビエト連邦内や[[戦線]]で使われていた旧式のインバータ(音声周波数反転方式)を改良した秘話装置は単純でコンパクトだったが、解読もまた非常に簡単だった。秘話解読を行うドイツの専門家たちはこの方式を「私たちのかわいいインバータ」と呼んでいた<ref name="KalachevCh2" />。
 
当時の[[ヨシフ・スターリン|スターリン]]もこのような状況を理解しており、1941年5月の[[ソ連共産党政治局|共産党政治局]]の拡大会議において「通信、それが我々のアキレス腱である」と発言した<ref name="Larin2011-20-40e" />。
 
実際、1943年頃までのソビエト連邦内の無線電話での会話の多くはドイツ軍により盗聴されていた。[[モスクワ]]、[[レニングラード]]、[[イルクーツク]]、[[アルマトイ|アルマ・アタ]]、[[チェリャビンスク]]の間の[[ロシア陸軍]]や[[内務人民委員部]] (NKVD) の秘話装置による会話が盗聴されていたことが、戦後の調査で明らかになっている<ref name="TICOM1946V2p73">''TICOM Investigations Volume2 - Notes on German High Level Cryptography and Cryptanalysis'', p.73.</ref>。これらの無線電話では、"クラスナヤ・ザリャー"工場で作られた多くの秘話装置のようにインバータを改良した方式と、人工的に音声の特定の周波数を強めて音を歪ませる方式の2種類の秘話装置が用いられていた<ref name="TICOM1946V2p73" />。秘話の解読はドイツ[[陸軍兵器局]] 開発試験部 通信課({{lang-de-short|Wa Prüf 7}})が担当し、アメリカの[[A-3 (秘話装置)|A-3型秘話装置]]の解読と同様、受信した秘話信号をいったん録音し、録音した音の[[スペクトログラム|サウンドスペクトログラム]]を注意深く調べることで秘話方式と秘話で使われている周波数を割り出して解読を行っていた<ref name="TICOM1946V2p73" />。
 
このような状況の中、コテルニコフと[[ウファ]]の研究所のメンバーはそれまでに知られていた多くの秘話方式の分析を行い、単体では十分な秘話性が得られないという結論に達していた<ref name="KalachevCh2" />。新しい秘話装置では複数の秘話方式を組み合わせて高い秘話性を実現することにし、音声を2つの周波数ブロックに分けて周波数の反転と入替を行う方法と、アメリカのSIGJIPのように音声を複数の時間ブロックに分けて入れ替える方法とを組み合わせることにした。[[暗号鍵]]に相当する入れ替えパターンの指定には、当時の[[テレタイプ]]や暗号機で使用された[[さん孔テープ]]を用いた。周波数/時間ブロックのスクランブル方法をテープにパンチされた1文字5[[ビット]]の情報で指定し、テープを10文字/秒で読み取り100ms単位でスクランブル方法を変化させる方式だった<ref name="KalachevCh2" />。さん孔テープはいくらでも長くすることができるため非常に複雑な入替パターンが可能で、テープをループ状につなげば同じテープを長時間使用できるため、当時としては優れた方式だった。
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コテルニコフらは1930年代にアメリカで考案された[[ボコーダー]]についての知識もあり、当初はアメリカの[[SIGSALY]]やドイツのフォイヤーシュタイン研究所の秘話装置で使われたものと同じようなボコーダーを併用することでより高い秘話性と必要な[[帯域幅]]の圧縮とを実現する予定だったが<ref name="KalachevCh2" />、安定した性能が得られなかったためボコーダーは使われなかった<ref name="KalachevCh3" />。
 
音声を複数の時間ブロックに分けて入れ替える方式も当時のソビエト連邦では経験がなく開発に苦労した。100msの音声を10の時間ブロック(セグメント)に分けて入替を行う方式が考案されたが、そのためにはいったん音声信号を100ms分記録してから特定の入替順序で読み取っていく必要がある。当時のソビエト連邦ではこのような用途に使える記録媒体の技術が無かった。
 
音速がおおよそ330m/sであることを利用し、最初は33メートルもの長いゴムホースにスピーカから音を流しマイクロフォンで電気信号に戻すやり方を試してみたが、高い周波数の減衰が大きすぎて満足な[[音質]]が得られず、装置も非常にかさばって実用にならないことが分かった<ref name="KalachevCh3" />。その後、スウェーデン鋼の薄くて長い金属テープをリング状につないで記録媒体として使う方法が試みられたが、リングのつなぎ目部分で発生するノイズをどうしても消すことができなかった<ref name="KalachevCh3" />。続いてつなぎ目の無いループ状の[[鋸]]に磁気記録する方法も試したが、これも十分な性能が得られなかった<ref name="KalachevCh3" />。最後に、モスクワの鉄鋼工場"鎌とハンマー"の協力により非磁性体の周囲を[[ニッケル]]と[[コバルト]]の薄膜でコーティングした材料を作ることで、ようやくまともな[[音質]]で磁気記録ができるようになった<ref name="KalachevCh3" />。
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"Sable-P"や"Neva"は[[テヘラン会談|テヘラン]]、[[ヤルタ会談|ヤルタ]]、[[ポツダム会談|ポツダム]]での[[連合国]]首脳会談の時にもモスクワとの連絡用に使用され<ref name="Larin2011-20-40e" />、コテルニコフと開発メンバーは、これらの業績により戦争が終わった1946年にも再びスターリン国家賞を授与されている<ref name="Larin2011-20-40e" />。
 
ドイツ陸軍で秘話解読を担当していた"Wa Prüf 7"(陸軍兵器局 開発試験部 通信課)もこのようなソビエト連邦側の変化に気が付いていた。1944年の初め頃には秘話方式が変って「私たちのかわいいインバータ」の無線信号は聞こえなくなり、ソビエト連邦内の無線通信ネットワーク自体も変化したため<ref name="TICOM1946V2p73">''TICOM Investigations Volume2 - Notes on German High Level Cryptography and Cryptanalysis'', p.73.</ref>、必要な情報は得られなくなっていった。
 
当時"Wa Prüf 7"で[[モスクワ]]-[[マドリード]]間の無線電話の信号を[[スペクトログラム]]を使って分析していた研究員の一人は、ソビエト連邦の秘話方式として「ティーゲルシュテット」(Tigerstedt、時間セグメント置換方式の当時のドイツでの呼び名)が使われていることに気が付いた<ref name="TICOM1946V2p74">''TICOM Investigations Volume2 - Notes on German High Level Cryptography and Cryptanalysis'', p.74.</ref>。スクランブルを行う時間セグメントの単位は10msで、0.6秒ごとに同期のためのパルス信号が含まれていた<ref name="TICOM1946V2p74" />。捕虜のソビエト兵を尋問し聞き出した読み取りヘッドの数は3と4の2種類の回答があり明確にはならず<ref name="TICOM1946V2p74" />、「ティーゲルシュテット」と周波数置換の組み合わせという方式自体は分かったが<ref name="TICOMRepMuche" />それ以上の詳細はわからなかった。記録した信号の各セグメントを並び替えることで音声らしきものを再生できることもあったが、実際のスクランブルのパターンは送信に使った[[さん孔テープ]]により変わるため並び替えの規則性や周期を見つけ出すことができず、解読はできなかった<ref name="TICOM1946V2p74" />。
 
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