「フォッカー F.VII」の版間の差分

m
編集の要約なし
m
 
 
==概要==
1924年、ヴァルター・レーテル(Walter Rethel)の設計で単発高翼単葉の原型機が開発された。[[アンソニー・フォッカー]]はエンジンを2基追加して Ford Reliability Tour に出場させ、その後の生産型のF.VIIa/3m、F.VIIb/3m、F.10は三発の構成が採用された。乗客数 8~1228~12の旅客機として、ヨーロッパやアメリカ合衆国の航空会社で多く使われた。1920年代後半のアメリカの旅客機の市場で優位に立ち、多くの記録飛行に用いられた。またアメリカ陸軍や海軍などで輸送機として採用された<ref>Bowers, Peter and Ernest McDowell. Triplanes: A Pictorial History of the World's Triplanes and Multiplanes. St. Paul, Minnesota: Motorbooks International, 1993. ISBN 0-87938-614-2.</ref>。1931構造は1920有名なフットボールチームのコーチおける一般的手法で、[[ニュート・ロックニー鋼管]]の乗ったTWAのF.10が事故を起こしたが、その後の調査で木製機の耐久信頼性が疑われるフレーム外部至り、[[ボーイング 247合板]][[ダグラス DC-2羽布]]のような近代的な全金属張り、木旅客機登場のきっかけにな主翼であった<ref>Dierikx, Marc. Fokker: A Transatlantic Biography. Washington, DC: Smithsonian Institution Press, 1997. ISBN 1-56098-735-9</ref>
 
1931年に有名なフットボールチームのコーチ、[[ニュート・ロックニー]]の乗ったTWAのF.10が事故を起こしたが、その後の調査で木製機の耐久信頼性が疑われるに至り、[[ボーイング 247]]や[[ダグラス DC-2]]のような近代的な全金属製旅客機登場のきっかけになった<ref>Dierikx, Marc. Fokker: A Transatlantic Biography. Washington, DC: Smithsonian Institution Press, 1997. ISBN 1-56098-735-9</ref>。
 
==フォッカー F.VIIによる記録飛行==