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| 公式サイト = https://mainichi.jp/
}}
[[画像ファイル:Mainichi-Shimbun-Osaka-Office-01.jpg|240px|thumb|right|upright|毎日新聞大阪本社(大阪市北区)]]
[[ファイル:MainichiMidland Sapporo Bldg 20070603-001Square001.jpgJPG|thumb|300pxright|upright|毎日新聞北海道支中部本社(札幌名古屋市中区)]]
 
[[Fileファイル:MidlandMainichi Square001Sapporo Bldg 20070603-001.JPGjpg|thumb|240px|right|毎日新聞中部本北海道支社(名古屋札幌市中区)]]
[[ファイル:Mainichi Sapporo Bldg 20070603-001.jpg|thumb|300px|毎日新聞北海道支社(札幌市中央区)]]
'''毎日新聞'''(まいにちしんぶん、{{旧字体|每日新聞}})は、[[日本の新聞]]のひとつ。[[毎日新聞社]]([[毎日新聞グループホールディングス]]傘下)が発行している<ref>[http://www.mainichi.co.jp/corporate/co-about20110401.html 持ち株会社の概要]</ref>。
 
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== 沿革 ==
* [[1872年]][[3月29日]]([[明治]]5年[[2月21日 (旧暦)|2月21日]]) - 『'''東京日日新聞'''』、[[東京]][[浅草]]の日報社から創刊。
* [[1875年]] - 『東京日日新聞』、新聞の個別配達実施。
* [[1876年]] - 日報社、『[[中外商業新報|中外物価新報]]』の印刷発行を[[三井物産]]から請け負う。
* [[1882年]] - 『日本立憲政党新聞』大阪で創刊。([[1885年]]、『大阪日報』と改題。さらに[[1888年]]、『'''[[大阪毎日新聞]]'''』と改題)
* [[1906年]] - 大阪毎日新聞社、東京の『電報新聞』を買収、同紙を『毎日電報』に改題して東京進出を果たす。
* [[1911年]] - 大阪毎日新聞社は日報社を合併(『東京日日新聞』と『大阪毎日新聞』の題号はそれぞれ変更せず)。大毎発行の『毎日電報』を『東京日日新聞』に吸収させる(東京日日は地紋の桜模様や「余録」欄等を継承)。
* [[1924年]] - 選抜中等学校野球大会(現:[[選抜高等学校野球大会]])開始。主催。
* [[1926年]][[12月25日]] - [[大正]]の次の元号を「光文」と誤報([[光文事件]])。
* [[1935年]] - 2月に西部総局、11月に名古屋支局で新聞本紙発行を開始。
* [[1936年]] - 『東京日日新聞』が『[[時事新報]]』を合同<ref group="注">[[1946年]]に[[夕刊|夕刊紙]]として復刊するが、[[1955年]]、[[産経新聞|産業経済新聞(産経新聞)]]と合同され、産経の東京本社発行版のみ『産経時事』の題号になるが、[[1959年]]に『産経新聞』に改題され再び消滅した。</ref>。[[成都事件]]<ref name="nihongaikousijiten">{{Cite book|和書
|author = [[外務省]][[外交史料館]] 日本外交史辞典編纂委員会
|year = 1992
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|isbn =
}}</ref>。
* [[1937年]] - [[百人斬り競争|南京百人斬り競争]]を報じる<ref>東京日日新聞 昭和12年12月13日</ref>。
* [[1943年]][[1月1日]] - 東西で異なっていた題号を『'''毎日新聞'''』とする。
* [[1950年]] - 名古屋での新聞の発行を再開。
* [[1952年]] - [[共同通信社]]を退会。
* [[1955年]] - 名古屋の中部支社を中部本社に昇格。
* [[1959年]] - 札幌に北海道支社を新設。北海道でも新聞の発行を開始。
* [[1965年]] - 西部本社、[[北九州市]][[門司区]]から現在の[[小倉北区]]の『毎日西部会館』に移転。
* [[1966年]] - 東京本社、有楽町から現在の竹橋([[パレスサイドビルディング]])に移転<ref group="注">社屋であるパレスサイドビルディング、土地とも関連会社の株式会社[[毎日ビルディング]]の所有である。</ref>。
* [[1967年]][[6月15日]] - 西部本社セット版地区(福岡県、山口県の一部など)の[[地方版]]を2ページにする(地方版ワイド化のはしり)。
* [[1971年]][[3月12日]] - 西部本社で輪転機8台を損傷する火災が発生する。
* [[1972年]] - 沖縄返還協定密約をめぐる「外務省機密漏洩事件」(いわゆる「[[西山事件]]」)発生。
* [[1974年]][[6月16日]] - [[4コマ漫画]]『[[アサッテ君]]』([[東海林さだお]]作)が朝刊で連載開始。
* [[1976年]] - 「記者の目」欄開始。(その後[[毎日新聞 記者の目|記者の目(テレビ版)]]が[[5社ニュース]]などで放送された)
* [[1977年]] - 負債を整理する旧社(株式会社毎日)と、通常の業務を行う新社(株式会社毎日新聞社)とに分離する「[[新旧分離]]」方式で会社を再建。登記上の本店を大阪から東京に移転。
* [[1978年]][[1月1日]] - 欄外の日付表記が[[元号]]([[西暦]])から西暦(元号)に変わる。
* [[1985年]] - 新旧両社が合併し会社再建計画終結。
* [[1987年]][[8月30日]] - 東京本社・北海道支社発行版の紙齢が4万号。
* [[1991年]][[11月5日]] - 題字を現在使用しているコバルトブルーに白抜きで『毎日新聞』と明朝体で書かれた物に変更。題字上部の[[コーポレートアイデンティティ|CI]]マークは“毎日の目”をイメージする。
* [[1992年]] - 大阪本社、堂島から現在の西梅田に移転。
* [[2003年]] - 中部本社が[[名古屋駅]]前のビル建て替え([[トヨタ自動車]]と共同)のため、名古屋市中区正木の[[日本経済新聞社|日本経済新聞名古屋支社]]の旧社屋ビルに仮移転<ref group="注">新社屋完成後、仮社屋として使われた建物には、毎日新聞名古屋センター及び毎日新聞名古屋本部(中部本社の編集・販売・営業などの業務を担当)が入居する。</ref>。
* [[2006年]] - 中部本社が名古屋駅前のビル「ミッドランドスクエア」完成に伴い再移転。
* [[2007年]][[12月10日]] - この日から従来より大きな[[書体]]「J字」を採用。他紙の書体の大型化のきっかけを作った。
* [[2008年]]
** [[2008年]]4月 - [[毎日デイリーニューズWaiWai問題]]が表面化し、「深刻な失態であり、痛恨の極みです」と謝罪に追い込まれる。
** [[2008年]][[8月30日]] - 売上の落ち込みから、[[毎日新聞北海道支社|北海道支社]]管内の[[夕刊]]を廃止。
* [[2010年]][[4月1日]] - [[共同通信社]]に再入会。同時に同日に共同通信社加盟の[[地方紙]]と記事配信などで包括提携する。
* [[2013年]]4月1日 朝夕刊の1〜3面の文字を15段組から12段組に変更。
* [[2013年]]4月1日 - 朝夕刊の1〜3面の文字を15段組から12段組に変更。
* [[2014年]][[12月31日]] - 朝刊の4コマ漫画『アサッテ君』が全国紙連載漫画としては最多記録となる13,749回を以って連載終了。
* [[2015年]]
** [[2月1日]] - 4コマ漫画『[[桜田です!]]』([[いしかわじゅん]]作)が朝刊で連載開始。
** [[2015年]][[2月12日]] - 東京本社・北海道支社発行版の紙齢が5万号。
* [[2016年]][[3月31日]] - 山梨県の夕刊を廃止。
 
=== 東京日日新聞 ===
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=== 紙齢について ===
* 東京本社と北海道支社で発行する毎日新聞は、「'''日本最古の日刊紙'''」といわれることがあるが<ref>グループ会社である東日印刷の会社案内ホームページより。{{出典無効|date=2019年7月|title=サイト内のどのページかが特定されていない。}}</ref>、[[1870年]]に[[横浜]]で創刊された『[[横浜毎日新聞]]』とは全くの無関係である。それでも「最古の歴史」と呼ばれるのは、前身の『東京日日新聞』([[1872年]]2月創刊)に由来しているからであり、『横浜毎日新聞』創刊から『東京日日新聞』創刊までの間に創刊された日刊新聞が全て現存していないことによる。同じく「最古の歴史」を標榜する『[[報知新聞]]』(『[[スポーツ報知]]』。1872年6月『郵便報知新聞』として創刊)や『[[読売新聞]]』([[1874年]]11月創刊)よりも古いとされる。ただし2014年現在、毎日新聞社では自社の歴史を表す表現として「'''東京で最初の日刊紙'''」を用いている。[[2015年]]、日本の日刊新聞で初めて紙齢50,000号を達成した。
* 大阪本社と西部本社、並びに中部本社発行の毎日新聞は、『大阪日報』の代替紙として[[1885年]][[9月1日]]に創刊された『日本立憲政党新聞』(後に『大阪日報』→『大阪毎日新聞』)からのものを継承している。
 
== 特徴 ==
[[Fileファイル:Shinkansen and Himeji Station M9 56.jpg|thumb|right|240px|駅売店に陳列される毎日を含む販売用新聞各紙]]
 
=== 紙面 ===
* ページを2つ折りにしたときに行の途中に折り目がかからない組み方を導入したり、縦書きの中に算用数字を用い、2桁の数字は横に並べるなど、見やすい紙面づくりにいち早く取り組む。
* [[1991年]]の題字デザイン変更時から、欄外の題字を小さく端(奇数ページは右端、偶数ページは左端)に移し、中央にはそのページのジャンルのタイトルを大きく明朝体で掲載していた。2007年のJ字導入以後は、ページ数表記の隣にそのページのジャンルを白抜きで表示し、中央に「毎日新聞」の文字を入れる従来のスタイルに戻した。 題字「MAINICHI」の左右に、社章の「目星マーク」が印刷されている。
* [[日曜日]]には[[二部紙]]を採用し、別冊版として「[[日曜くらぶ]]」を発行している<ref group="注">「日曜特集」→「日曜版」(1965年1月)→「日曜くらぶ」(1975年4月)と改題してきた</ref>。東日本(新潟県・長野県・静岡県以東)は8頁建て。西日本のうち、東海3県と九州(沖縄県・山口県含む)はこの中から抜粋した4頁建て。大阪本社管内の北陸・近畿・中四国地方(山口県除く)は左記の4頁に加え、前半の4頁に独自の週間テレビ番組表を掲載した8頁建てである。
 
=== 論調 ===
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== 疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル ==
[[ファイル:Contest To Cut Down 100 People.jpg|thumb|right|昭和12年12月13日の紙面]]
<!-- この段落名および段落構成は読売新聞・朝日新聞・日本経済新聞と共通です -->
<!-- * 戦前の金解禁論争において、毎日新聞は一貫して[[金解禁]]を支持した。これに対して、[[石橋湛山]]や[[高橋亀吉]]などジャーナリストや財界人の[[団琢磨]]や[[各務鎌吉]]は金解禁に対しては、慎重であるべき、もしくは新平価での解禁を主張した。これは、もし旧平価で解禁された場合、深刻なデフレ不況に陥り、輸出においても割高になるためである。当時、毎日新聞は社説において、金解禁がなされれば、物価下落によりサラリーマンの購買力が上がり、国民生活が豊かになると主張した{{要出典|date=2011年7月}}。 -->
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* [[1984年]][[1月24日]]の夕刊社会面で漫画『[[日出処の天子]]』の内容は信仰対象を冒涜しているとして[[法隆寺]]が怒り、抗議を検討しているという談話と、作者の[[山岸凉子]]・掲載誌である『[[LaLa]]』編集部の反論コメントを掲載したが、この三者のコメント全てが実際の取材を行わずに記事を書いた毎日新聞奈良支局記者の[[捏造]]であり、法隆寺側は問題の漫画を読んですらいなかった<ref>「『少女マンガに法隆寺はカンカン』が一転して『ウソでした』だって! 開いた口がふさがらない 毎日新聞“虚報事件”の顛末」([[週刊現代]])</ref>{{要高次出典|date=2017-11}}。作者による抗議や、事実無根であるとの法隆寺の証言があり、[[2月4日]]の夕刊紙上で関係者各位へのおわびを掲載した。
* [[1989年]][[6月1日]]、夕刊紙上で「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」と、当時社会現象にまでなっていた[[グリコ・森永事件]]の犯人逮捕をスクープしたが、関連記事の全てが捏造であったことが発覚、[[岩見隆夫]]編集局長が辞任し、6月10日に「行き過ぎ紙面を自戒」と紙上で捏造を認め釈明した。{{Main|毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件}}
* [[1998年]][[2月4日]]、東京都[[中野区]]で「[[ナヌムの家]]」に関する[[試写]]会が行われた際に、「現場に居た元[[慰安婦]]に対して『好きでやったんだろう』『売春婦!』と会場から『とげとげしい野次』が飛んだが、会場に居た元慰安婦の女性がすくっと立ち上がって、身の上話をしたところ会場は静まり返り、それを見た友人が「感動的」だったと教えてくれた」と佐藤由紀記者が伝え、映画を紹介した<ref>毎日新聞(夕刊) 1998年2月4日</ref>。しかし実際には、現場でそのような野次はなく、虚偽の内容であった。翌月に毎日新聞社は「先月行われた試写会でとげとげしいやじがあったとあるのは、一昨年の別の試写会での出来事でした。(中略)また元従軍慰安婦の女性が身の上を語ったとあるのは、映画の中のことでした」と訂正し謝罪<ref>1998年2月5日毎日新聞(夕刊)</ref>。ところがこの訂正記事も内容がおかしく、映画の中に「身の上話」など出てこないことが指摘され、虚報に虚報を重ねるという報道機関としての体質を批判された<ref>映画新聞(1998年8月1日号)[http://megalodon.jp/2008-0717-0151-46/www.jca.apc.org/usokiji/eigashin.html 『ナヌムの家』試写会捏造報道事件の批判より]</ref><ref group="注">[[井沢元彦]]はこの佐藤記者の思想信条は分からないが、自分の主張や意見を有利にするために「でっちあげた」と思われるとし、こんなことをしてはいけないことは入社1年目で叩き込まれることであり、とても恥ずかしいことであると批判している。</ref>。
* [[2006年]]8月、[[奈良県]]で妊婦が出産中に意識不明になり、他の19の病院に受け入れを断られた末に大阪の病院まで運ばれ、出産後に脳内出血により死亡するという事件が起きた。これに対し毎日新聞は10月に記事として発表し、検証キャンペーンを行った。この結果日本の母子救急搬送システムの不備が広く問われることになった。一方で、この内容について、[[医療従事者]]から、報道内容が事実に反し、科学的でないと指摘がなされたが、毎日新聞の公式見解としてはこれまでのところ「訂正すべき記載はない」として見解が対立している。第11回[[新聞労連]][[ジャーナリスト]][[賞|大賞]]特別賞、第14回[[坂田記念ジャーナリズム賞]]受賞。{{Main|大淀町立大淀病院事件}}
** この事件に関して毎日新聞は2006年10月22日「支局長からの手紙」において「何度足を運んでもミスや責任を認めるコメントは取れませんでした」と、[[医療訴訟]]などが何も起こされていない段階で[[医療ミス]]であったと主張している。しかし2008年12月18日「記者の目」(東京社会部・清水健二)において「誰かに強引に責任を押しつけるような報道は慎むべきだが、報道がなければ関係者は危機感を共有できず、再発防止策も立てられない」と社としての意見を翻すとともに、自らは口を挟むのみで、「関係者」が問題対策に関わるべきであるとしている<ref>[https://archive.is/20120710153036/mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20081218k0000m070149000c.html 記者の目:東京の妊婦死亡で医療界と行政に望む=清水健二]</ref>。大淀町と遺族の裁判は結審しており、裁判所は新聞で報道されたような事実は全くないうえ、医療ミスはないと認定している<ref>[http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100318100440.pdf]</ref>。
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=== 印刷工場 ===
[[Fileファイル:Sports Nippon Newspapers Tokyo HQ 20110603-001.jpg|thumb|240px|right|[[東日印刷]]本社工場([[東京都]][[江東区]])]]
[[Fileファイル:Mainichi-Settsu.JPG|thumb|240px|right|毎日新聞摂津工場兼[[高速オフセット]]社工場([[大阪府]][[摂津市]])]]
* 東京本社
** [[東日印刷]](越中島・川崎)[http://www.tonichi-printing.co.jp/]
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* [[八重山毎日新聞]]
 
== 脚注・出典 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==