「第四次中東戦争」の版間の差分

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敵対関係の継続であり、改めて敵対したわけではない
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「ヨム・キプール」の日に攻撃を受けた上{{refnest|group="注"|もっとも、開戦時にイスラエル軍の[[予備役]]兵は自宅にいるか[[シナゴーグ]]で祈祷をしていたため、[[動員]]作業はむしろスムーズに進んだ<ref>マーティン、千本 『イスラエル全史』(下)、p. 213.</ref>。}}、第三次中東戦争以来アラブ側の戦争能力を軽視していたイスラエルはアラブ側から奇襲を受け、かなりの苦戦を強いられたが、(イスラエル軍の主力である)予備役部隊が展開を完了すると、アメリカの支援等もあって戦局は次第にイスラエル優位に傾いていき、[[10月24日]]、国際連合による停戦決議をうけて停戦が成立した際、イスラエル軍は逆にエジプト・シリア領に侵入していた。
 
純軍事的にみればイスラエル軍が逆転勝利をおさめたのだが、戦争初期にとはいえ[[第一次中東戦争|第一次]]、[[第二次中東戦争|第二次]]、第三次中東戦争でイスラエルに対し負け続けたアラブ側がイスラエルを圧倒したという事実は(イスラエルはアラブ側に対して負けるはずはないという)「イスラエル不敗の神話」を崩壊させ、逆にイスラエルに対して対等な立場に着くことができたエジプトは[[1979年]]、[[エジプト・イスラエル平和条約]]を締結し、[[1982年]]にシナイ半島はエジプトに返還された(一方、同年ゴラン高原はイスラエルが一方的に併合を宣言してシリアと敵対した)。
 
この戦争は、[[冷戦]]期における地域紛争の中でも新しい兵器が大規模投入され、特に[[ミサイル]]兵器([[9M14 (ミサイル)|9M14「マリュートカ」(AT-3「サガー」)対戦車ミサイル]]、双方が史上初めて[[対艦ミサイル]]を使用した[[ラタキア沖海戦]]など)はめざましく、[[戦車#冷戦期 - 現代|第三世代主力戦車]]の開発など各国の兵器開発に少なからぬ影響を与えた。