「メアリー・アニング」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
Madogiwanohito (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
33行目:
メアリーと科学界との関係が最初にできたのは、父の死の数か月後の[[1811年]]、彼女が[[イクチオサウルス]]の骨格の化石を見つけた時であった。ジョセフが一年前に大きな[[ワニ]]のように見える[[頭蓋骨]]の化石を見つけていたが、骨格の残りの部分は始めは見つかっていなかった。しかしメアリーが嵐の後に来てみると、化石を含んだ崖の一部が削り取られていた。イクチオサウルスの化石自体は1699年に[[ウェールズ]]ですでに発見されていたが、彼女が発見したのは最初の全身化石であった。これは重要な発見で、化石はすぐに[[王立協会]]の手に渡ったが、メアリーはこの時わずか12歳であった。彼女はその後も2体の別のイクチオサウルスの化石を発見している。
[[ファイル:Mary Anning Plaque.JPG|100px|right|thumb|生家に掛けられている記念盾]]
メアリーの評判が高まると、彼女は[[リンカンシャー]]の裕福な化石収集者である
以上の3つの発見によってメアリーの名前は歴史に残ったが、彼女は生涯を通じて化石の発掘を続け、初期の古生物学に大きく貢献した。30代後半になると、イギリス学術振興協会から収入を得ることになった。メアリーは47歳で世を去ったが、死の数か月前に[[ロンドン地質学会]]の名誉会員に選ばれた。結婚はせず、生涯独身であった。
|