「メアリー・アニング」の版間の差分

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メアリーと科学界との関係が最初にできたのは、父の死の数か月後の[[1811年]]、彼女が[[イクチオサウルス]]の骨格の化石を見つけた時であった。ジョセフが一年前に大きな[[ワニ]]のように見える[[頭蓋骨]]の化石を見つけていたが、骨格の残りの部分は始めは見つかっていなかった。しかしメアリーが嵐の後に来てみると、化石を含んだ崖の一部が削り取られていた。イクチオサウルスの化石自体は1699年に[[ウェールズ]]ですでに発見されていたが、彼女が発見したのは最初の全身化石であった。これは重要な発見で、化石はすぐに[[王立協会]]の手に渡ったが、メアリーはこの時わずか12歳であった。彼女はその後も2体の別のイクチオサウルスの化石を発見している。
[[ファイル:Mary Anning Plaque.JPG|100px|right|thumb|生家に掛けられている記念盾]]
メアリーの評判が高まると、彼女は[[リンカンシャー]]の裕福な化石収集者である{{仮リンク|[[トーマス・ジェームズ・バーチ}}]]の目に留まった。アニング家が貧困で困っているのを見て、彼は自身の化石を売り、売り上げの約400[[スターリング・ポンド|ポンド]]をアニング家に与えた。ここ10年で初めて財政的な態勢が整ったことで、メアリーはジョセフが家具職人として勤め始めてからも化石採集を続けた。彼女の次の大発見は、[[1821年]]の[[プレシオサウルス]]の骨格化石の初めての発見であった。この発見は後に[[ウィリアム・ダニエル・コニベア]]によって記載され、メアリーの発見した化石がその後[[タイプ (分類学)|タイプ標本]]となった。その後、[[1828年]]には新種の魚の化石やドイツ以外では初めてとなる[[翼竜]]([[ディモルフォドン]])の、全身の化石などを発見した。
 
以上の3つの発見によってメアリーの名前は歴史に残ったが、彼女は生涯を通じて化石の発掘を続け、初期の古生物学に大きく貢献した。30代後半になると、イギリス学術振興協会から収入を得ることになった。メアリーは47歳で世を去ったが、死の数か月前に[[ロンドン地質学会]]の名誉会員に選ばれた。結婚はせず、生涯独身であった。