「ナチス・ドイツ」の版間の差分

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'''ナチス・ドイツ'''は、国
'''ナチス・ドイツ'''は、[[アドルフ・ヒトラー]]及び[[国家社会主義ドイツ労働者党]](NSDAP、ナチ党)による支配下の、1933年から1945年までの[[ドイツ国]]に対する呼称である。社会のほぼ全ての側面において[[ナチズム]]の考え方が[[強制的同一化|強制される]][[全体主義|全体主義国家]]と化した。[[第二次世界大戦#経過(欧州・北アフリカ・中東)|ヨーロッパにおける第二次世界大戦]]が終結する1945年5月に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国軍]]に敗北、滅亡した。
 
==概要==
[[ヴァイマル共和政]]の[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]][[ドイツ国大統領|大統領]]
1933年1月30日、[[ヴァイマル共和政]]の[[パウル・フォン・ヒンデンブルク]][[ドイツ国大統領|大統領]]により、ヒトラーは[[ドイツ国首相]]に任命された。まもなく大統領令と[[全権委任法]]によって憲法を事実上停止したうえに、対立政党の禁止や[[長いナイフの夜]]による突撃隊粛清などにより政治的敵対勢力を全て抹殺し、ヒトラーを中心とする独裁体制を強固にした。一方で、政府は組織的かつ協力的な組織ではなく、ヒトラーの情実及び権力を求めて闘争を行う党派の集合体であった。1934年8月2日のヒンデンブルク死後、ヒトラーは首相府及び大統領府並びに両権限を統合した上に個人として国家元首の権能を吸収し、名実ともにドイツの独裁者になった<ref> [[南利明 (法学者)|南利明]]『[http://ir.lib.shizuoka.ac.jp/bitstream/10297/3574/1/090603026.pdf 〈論説〉指導者‐国家‐憲法体制の構成]』[[静岡大学]]法政研究第7巻3号</ref>。国家元首となったヒトラーの地位は日本語で[[総統]]と呼ばれる。[[世界恐慌]]の影響でドイツ経済はどん底となり、大量の失業者があふれていたが、多額の軍事支出を始めとする公共投資により、重工業を中心とする産業が伸長し、1935年にはほぼ完全雇用を達成した([[ナチス・ドイツの経済]])。
 
[[人種主義]]、特に[[反ユダヤ主義]]は、同政権の中心的特徴であった。[[ゲルマン人]] ([[北方人種]]) は、最も純粋な[[アーリアン学説|アーリア人種]]ひいては{{仮リンク|支配人種|en|Master race}}だと考えられた。自由主義者、社会主義者、共産主義者は、殺害、投獄又は国外追放された。キリスト教会もまた多くの指導者が投獄され、抑圧された。教育は人種主義見地により、人口政策、健康に重点が置かれた。女性の就業及び教育機会は[[ナチスの女性政策|奪われた]]。娯楽及び旅行は[[歓喜力行団]]のプログラムにより組織化された。[[ナチスのプロパガンダ|宣伝]]大臣の[[ヨーゼフ・ゲッベルス]]は世論操作のため、映画、大規模集会、ヒトラーの洗脳演説を有効活用した。政府は芸術的表現を統制し、特定の芸術形式を奨励し、それ以外は[[頽廃芸術]]として禁止又は抑圧した。[[1936年ベルリンオリンピック|1936年夏季オリンピック]]により国際舞台で、ドイツがナチ党の唱える理想国家である「[[第三帝国]]」であるとアピールされた。
 
ナチス・ドイツは次第に積極的な領土要求を行い、要求が満たされなければ戦争を行うと脅迫した。1938年及び1939年には、[[オーストリア]]及び[[チェコスロバキア]]を占拠した。ヒトラーは[[ヨシフ・スターリン]]と[[独ソ不可侵条約|条約]]を結び、1939年9月に[[ポーランド侵攻|ポーランドに侵攻]]し、ヨーロッパにおける第二次世界大戦が勃発した。[[イタリア王国]]及び東欧諸国と同盟を結び([[枢軸国]])、1940年までにドイツはヨーロッパの大部分を制圧し([[ドイツによるヨーロッパ占領]])、イギリスを脅かした。1941年の[[ソビエト連邦]]への[[バルバロッサ作戦|ドイツの侵攻開始]]後、ドイツとソ連は壮絶な[[独ソ戦]]の死闘を繰り広げた。[[東部占領地域]]は残忍な勢力下に置かれ、ヒトラーの統治に対する[[反ナチ運動|反対勢力]]は情け容赦なく抑圧された。この戦いの最中、ナチス・ドイツ政権の人種政策は、何百万もの[[ユダヤ人]]及び好ましくないと見なされた[[生きるに値しない命]]を[[強制収容所 (ナチス)|強制収容所]]及び[[絶滅収容所]]へ投獄、殺害した[[ホロコースト]]において頂点に達した。1943年にドイツは大規模な軍事的敗北を被った。1944年にはドイツへの大規模な爆撃が段階的に増大したことと、連合国軍の反攻によりドイツの勢力圏は縮小の一途をたどった。6月の[[ノルマンディー上陸作戦|フランスへの連合国の侵攻]]後、ドイツは完全に守勢に回り、領土も次第に制圧された。終戦間際でのヒトラーの敗北への拒絶は、ドイツ国土の大規模な破壊と、さらなる犠牲を産むことになった([[ネロ指令]])。[[ベルリン攻防戦]]が行われる最中の1945年4月30日の[[アドルフ・ヒトラーの死|ヒトラーの自殺]]によってナチス政権は事実上崩壊し、5月9日、[[ドイツ国防軍]]による降伏が行われた([[欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)]])。ヒトラーに指名された[[カール・デーニッツ]]らの[[フレンスブルク政府]]は正当性を否認され、[[6月5日]]、 [[ベルリン宣言 (1945年)|ベルリン宣言]]によりドイツに中央政府が存在しないことが確認され、ドイツは法的にも占領下に置かれることとなった([[連合軍軍政期 (ドイツ)]])。戦勝した連合国は[[非ナチ化]]政策を開始、多くのナチス指導者は戦争犯罪で[[ニュルンベルク裁判]]などの非ナチ化裁判の公判に付された。
 
== 国名 ==