「マーロン・ブランド」の版間の差分

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[[1975年]]の『[[ミズーリ・ブレイク]]』からは少ない出番で莫大なギャラと収益の一部を得る事がブランドの出演条件となっていった。『[[地獄の黙示録]]』、『[[D.N.A./ドクター・モローの島|D.N.A]]』、『[[ブレイブ (映画)|ブレイブ]]』などの不気味な役柄など、性格俳優的な一面も見せ始めた。特に『[[地獄の黙示録]]』では暗殺されるカーツ大佐を演じたが、原作・脚本のキャラクターに全くそぐわない100キロを超える体重と外見、法外なギャラ要求と契約・演技態度などにより、コッポラ監督を極限まで悩ませ、追い詰めた。だがハリウッドの重鎮的な存在感で圧倒し、老いてもなお、[[カリスマ]]的な言動とベールに包まれた私生活で常に話題となる存在でありつづけた。
 
[[1978年]]の『[[スーパーマン (1978年の映画)|スーパーマン]]』では、'''世界一ギャラの高い俳優'''としてギネス記録に残る伝説を生み出した。なお、この映画はブランド自身が出演を熱望したものである。ブランドの子供が、『スーパーマン』の愛読者であったため子供が喜ぶであろうと考えた故の行動であったが、スケジュールの都合、撮影のための拘束期間はわずか12日間当時最高額の370万ドルのギャラと収益の11.75%を得ることを条件とする契約であった。映画は大ヒットし、ブランドは冒頭わずか約20分の出演で1400万ドルという破格のギャラを手にした。
 
=== 晩年 ===