「野呂一生」の版間の差分

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== 来歴 ==
=== アマチュア時代・1970年代前半 ===
中学生の時に友達が学校に持ってきて弾いた[[フォークギター]]の格好良さに憧れ、自らも始める。この多感な時期、様々な音楽を聴き、弾いていくうちに、フォークギターからすぐにエレキギターに転向していく。そして、中学三年生のときに観に行った[[グランド・ファンク・レイルロード]]の来日公演が自身の中で一大センセーションとなり、[[東京都立玉川高等学校]]在学中は[[ハードロック]]に傾倒して、リアルタイムで活動していた[[レッド・ツェッペリン]]([[ジミー・ペイジ]])や[[ジェフ・ベック・グループ]]([[ジェフ・ベック]])のコピー演奏に没頭するようになった。学校以外の演奏活動の場として、後に[[プリズム (バンド)|プリズム]]を結成する[[和田アキラ]]、[[久米大作]]ら同年代の者たちも居た都内のロック演奏のコミュニティにも所属。そこで野呂が高校三年生の時に高校二年生であった[[櫻井哲夫]]と出会って意気投合し、[[ベック・ボガート & アピス]]を目標として都内の練習スタジオでセッションしだようになったこれが後に結成するカシオペアの始まりとなである。この頃、[[ジャズ]]にも音楽的興味を持ちだし始め、[[ジャズ喫茶]]に通い出した。音楽理論は、ジャズギターの名手[[ジョー・パス]]著の理論書「ジョー・パス・ギター・スタイル」[[渡辺貞夫]]著の理論書「ジャズスタディ」など購入。徹底解析して理論を身に付けていくそれらを元にして作曲活動を開めるようになる。そ後にカシオペアの初期アルバムにも収録される曲を次々と櫻井に披露した。櫻井は野呂の才能にいっそう惚れ込むようになったんだ
 
=== カシオペアを結成してプロデビュー・1970年代後半 ===