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=== 東京裁判 ===
[[画像:Kido at Tokyo Tribunal.jpg|thumb|極東国際軍事裁判で尋問に答える木戸(1947年)]]
[[極東国際軍事裁判]](東京裁判)では、[[昭和天皇の戦争責任]]などに関して、自らの日記(『木戸日記』)などを証拠として提示した。東京裁判期の日記と併せ公刊されている([[東京大学出版会]])。日本語で372枚にも及ぶ宣誓供述書<ref>{{Cite book|和書 |title=法廷証番号3340: 木戸幸一宣誓供述書 [弁護側文書番号: 2502] |series=連合国最高司令官総司令部国際検察局文書 |format=マイクロフィルム |url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10281031 |accessdate=2018-08-10 |year=1947}}米国国立公文書館所蔵の日本占領関係資料集〈General Headquarters/Supreme Commander for Allied Powers〉より "GHQ/SCAP Records, International Prosecution Section ; Entry No.327 Court Exhibits in English and Japanese, IPS, 1945-47" のマイクロフィルム複写。</ref>で「隠すところなく、恐るるところなく」、いかに自分が軍国主義者と戦い、政治的には非力であったかを述べ、当時の政府や軍部の内情を暴露して天皇免訴に動いた。

しかし、結果的には連合国との開戦に対して明確に反対しなかったことから、イギリス代表検事である[[アーサー・S・コミンズ・カー]]からは、「“天皇の秘書”であるなら、親英米派であった天皇の意向に沿って行動するのが道徳であろう」として、「不忠の人間」であると強く批判された。結局、木戸の日記や証言<ref>{{Cite book|和書 |title=木戸幸一. 個人最終論告 JJ |series=連合国最高司令官総司令部国際検察局文書 |format=マイクロフィルム |url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10282629 |accessdate=2018-08-10 |date=1948-02}} "Entry No.338 Prosecution and Defense Summations for Cases Tried before the IMTFE, 1948" 野間伊久留フィルム複写。手書き。</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=Defense Doc. 3117 [Defense Summation, KIDO, Koichi. Defense Summation Section N-10 木戸幸一最終辧論] |volume=1 |author=W・ローガン|author2=穂積重威 |series=連合国最高司令官総司令部国際検察局文書 |format=マイクロフィルム |url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9884832 |accessdate=2018-08-10 |date=1948-04}}米国国立公文書館所蔵の日本占領関係資料集〈General Headquarters/Supreme Commander for Allied Powers〉より "GHQ/SCAP Records, International Prosecution Section ; Miscellaneous International Prosecution Documents Used as Background in Preparation for the IMTFE, 1940-48" のマイクロフィルム複写。</ref><ref>{{Cite book|和書 |title=Defense Doc. 3117 [Defense Summation, KIDO, Koichi. Defense Summation Section N-10 木戸幸一最終辧論] |volume=2 |author=W・ローガン |author2=穂積重威 |series=連合国最高司令官総司令部国際検察局文書 |format=マイクロフィルム |url=http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/9884833 |accessdate=2018-08-10 |date=1948-04}}米国国立公文書館所蔵の日本占領関係資料集〈General Headquarters/Supreme Commander for Allied Powers〉より "GHQ/SCAP Records, International Prosecution Section ; Miscellaneous International Prosecution Documents Used as Background in Preparation for the IMTFE, 1940-48" のマイクロフィルム複写。</ref>は天皇免訴の決定的証拠にはならず、東條の証言によって天皇の免訴は最終的に決定することになった。
 
この『木戸日記』は、軍人の被告らに対しては不利に働くことが多かったため、軍人被告の激しい怒りを買うことになった。[[武藤章]]や[[佐藤賢了]]は、[[巣鴨拘置所]]と法廷を往復するバスの中で、木戸を指差しながら同乗の[[笹川良一]]に向かって「笹川君! こんな嘘吐き野郎はいないよ。我々軍人が悪く言われる事は、別に腹は立たんが、『戦時中、国民の戦意を破砕する事に努力してきました』とは、なんという事をいう奴だ。この大馬鹿野郎が」と吐き捨て、それを聞いていた[[橋本欣五郎]]も「本来ならこんな奴は締め上げてくれるんだが、今はそれもできんでね」と罵り、木戸もこの時ばかりは、顔を真っ赤にして俯きながら手持ちの新聞紙で顔を覆い隠したという。