「ギヨーム・ギヨン=ルティエール」の版間の差分

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カリブ海の[[フランスの海外県・海外領土|フランスの海外県]]、[[グアドループ]]のサンタンヌ(Sainte-Anne)で生まれた。母親はグアドループの解放奴隷で、父親のピエール・ギヨンはフランス人の公証人であった。1799年にパリで父親に認知された。幼い頃から絵の才能を示し父親はフランスで教育することに決め1774年にフランスに移った。
 
家族の3番目の息子であったので3番目をしめす「Letiers」の名前を名乗って、[[ルーアン]]に設立された美術学校( l’école publique gratuite de dessin)でジャン=バティスト・デシャン(Jean-Baptiste Descamps)に学んだ。3年間の修行で技術は上達した。後に「Letiers」の名前の綴りは「Le Thière」に変えた。[[立絵彫刻アカデミー]]の教授[[ガブリエル=フランソワ・ドワイアン(Gabriel-François Doyen)]]に弟子入りして働いた。
 
1784年に[[ローマ賞]]に応募し、2位となり、2年後、再び応募して入選しなかったが、[[ローマ]]に留学した。当時ローマにいた[[ジャック=ルイ・ダヴィッド]]とともに[[新古典主義]]のスタイルを発展させた。数年間ローマに留まり、1791年にパリに戻った。