「函館大学」の版間の差分

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==概要==
地元での略称は「'''カンダイ'''」。少人数の学生を[[専任教員]]が4年間指導することで、高度な職業能力を身につけさせる「専攻塾」制度が特色。これは2001年後より大学カリキュラムを大幅に変更して導入された。教官が三人体制で入学から就職まで学生生活全般をサポートするシステムで当時の学長の[[河村博旨]]が導入した。入学時の受講科目選択や生活の悩み、卒業論文や就職指導までの4年間の学生生活を支援した<ref>「塾」制度で学生生活サポート*函館大 新年度から*科目選択から就職指導まで*教官3人できめ細かく 2001.03.02 北海道新聞朝刊地方 25頁 函B (全673字)</ref><ref><212土曜ひろば>函館*生活や就職支援 「塾」制度導入へ*函館大 2001.03.10 北海道新聞夕刊地方 9頁 圏B (全401字)</ref>。また新カリキュラムに合わせて塾の演習棟などを新築、改築した。また、国際教育にも力を入れており、[[商学部]]のみの[[単科大学]]でありながら[[英語]]の[[教員免許]]を取得できる課程が設けられている。[[課外活動]]では、[[ハンドボール]]部、[[野球]]部<ref>監督は元プロ野球選手の[[中山俊之]]</ref>、[[ボウリング]]部が強豪として知られる。
 
ハンドボール部<ref><キャンパス通信>文武両道貫く“北の雄”*函大ハンドボール部*留年したら即退部 道学生リーグで120連勝*合宿通じ「自分」も発見*全国からの学生それぞれの道へ1999.05.17 北海道新聞朝刊全道 9頁 教2 (全1,263字)</ref>・野球部・ボウリング部の強化指定クラブにおいて、授業料免除の特待生を多く受け入れているが、彼らに対して学業面での融通はなく、スポーツ特待の学生であっても授業への出席は厳しく点検され、試験においても下駄履きなどの措置が講じられることは一切ない。
 
河村博旨が学長を務めていた時代は、客員講師として桂文枝 (6代目)や梨元勝を招き、実地に則したユニークな講義が行われた。他にも元札幌高検検事長や元日銀函館支店長、東京海上火災保険函館駅前支店長、三井生命保険参与、元東洋信託銀行副社長、みちのく銀行取締役秘書室長、青森地域社会研究所常務理事などといった識者を招いている。このため関東地方を中心とする道外出身の学生が9割を占めていたが、小笠原学長時代に地域密着型の経営方針を打ち出し、客員教授を減らすなど、一転した教育活動を行った。学生の獲得においても函館や渡島近辺に限定するなど、狭義的な大学経営を取った結果、学生数を大幅に減少させてしまった。
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教職員の指導は手厚く、履修登録等の手続きにおいても学生一人一人に対して懇切丁寧に行われ、卒業後も就職相談や教員免許などの免許取得においても援助・助言が行われている。
 
ハンドボール部<ref><キャンパス通信>文武両道貫く“北の雄”*函大ハンドボール部*留年したら即退部 道学生リーグで120連勝*合宿通じ「自分」も発見*全国からの学生それぞれの道へ1999.05.17 北海道新聞朝刊全道 9頁 教2 (全1,263字)</ref>・野球部・ボウリング部の強化指定クラブにおいて、授業料免除の特待生を多く受け入れているが、彼らに対して学業面での融通はなく、スポーツ特待の学生であっても授業への出席は厳しく点検され、試験においても下駄履きなどの措置が講じられることは一切ない。
 
[[1968年]]に発生した[[三陸沖北部地震#1968年|十勝沖地震]]では、鉄筋コンクリート5階建て校舎本館が全壊する被害が生じた<ref>{{Cite book |和書 |author=島村英紀、森谷武男 |year=1994 |title=北海道の地震 |page=p39 |publisher=北海道大学図書刊行会 |location= |quote= }}</ref>。