「クイックモーション」の版間の差分

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1973年にクイックモーションを多用した南海がリーグ優勝を果たしたことで、クイックモーションは他チームにも広まった。クイックモーションが浸透する以前は「盗塁を許したら捕手の責任」と言われていたが、これ以降「盗塁を刺すのは投手と捕手の共同作業」というのが一般的な見解となった。なお、パリーグ全体の盗塁数はクイックモーションの普及により1975年頃から減少しており、福本本人に関しては1974年94盗塁23盗塁死、1975年は63盗塁12盗塁死、1976年62盗塁17盗塁死を記録。クイックモーションが浸透した時期に成績を落とすがそれでも8割超の成功率を最晩年まで維持し当時の盗塁世界記録を樹立した。
 
クイックモーションが野村の一人の手柄のように語られる風潮を、元同僚の[[江本孟紀]]は否定している。クイックは野村の肩に衰えが目立ち始めたため、当時のエース[[皆川睦雄]]を初めとする、自分達南海投手陣が知恵を出し合い考案したもので、野村はそれに賛同したに過ぎない。と語っている。
 
[[メジャーリーグベースボール]]では{{仮リンク|ディック・ボスマン|en|Dick Bosman}}がスライドステップの創始者とされ<ref name="Bosman" />、1980年代後半にはメジャーリーグの他の投手もスライドステップを使うようになったとされる<ref name="Bosman" />。