「景山民夫」の版間の差分

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→‎放送作家として: 立川八王子の由来を注釈として記載。バラバラに付いていた立川と八王子の内部リンクを外し、注釈内の字句を内部リンク化する。
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以後1年半の間生活したニューヨークでは、[[グリニッジ・ヴィレッジ]]のコーヒーショップ「フォーウィンズ」で[[フォークソング|フォーク]][[歌手]]として出演していたほか、[[マリファナ]]仲間と[[ウッドストック・フェスティバル]]に向かおうとしたなどのエピソードがある。ただし、アメリカ時代の経歴については、後に著書で「創作を含んでいる」と自著で述べている。
 
帰国後、再び放送作家として『[[タモリ倶楽部]]』、『[[11PM]]』、『[[クイズダービー]]』等、数多くの番組の構成を担当し、多いときには週12本を掛け持つ売れっ子となる。同じく放送作家の[[高田文夫]]と『民夫君と文夫君』のコンビを結成、「立川八王子{{Refnest|師匠の談志から芸名を付けてもらうにもネタが尽きたらしく(師匠曰く『直木賞作家に敬意を表して』と)、師匠から「芸名は自分で考えて来るように」と言われ困っていたところ、新宿駅でふと見た[[中央線快速]]の行き先表示『[[立川駅|立川]]・[[八王子駅|八王子]]方面』に、コレだと思って芸名にした、という<ref>[https://twitter.com/dgoutokuji/status/371459564824051713 立川談四楼のツイッター]</ref>。景山本人も[[ざこば・鶴瓶らくごのご]]のゲスト出演の際に立川八王子の由来を同じように語っている。}}」として[[落語立川流]]に入門した<ref>談志が認めた有名人で構成されるBコースだった。[[落語立川流#構成員]]を参照。</ref>。テレビ出演にも積極的で、風貌が似ていた[[三浦和義]]の[[カリカチュア]]「フルハム三浦」、「スワッパー三浦」として『[[オレたちひょうきん族]]』の「ひょうきんプロレス」に[[プロレスラー]]として出演したほか、『[[料理の鉄人]]』の審査員として登場した。変わったところでは[[北海道テレビ放送]](HTB)のローカルの深夜お色気番組『純ちゃんの派~手~ズナイト』(毎週土曜の0時からの60分番組で司会は[[高田純次]])のレギュラーとして出演し、毎回ギターを弾きながら歌を披露していた。
 
高平哲郎、[[萩本欽一]]などを公然と批判。[[ビートたけし]]から「この人ほど番組を潰してきた作家はいない」と評されている{{要出典|date=2010年7月}}。この辺りの顛末は、当時『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』誌に連載していた自身のエッセイ『極楽TV』に詳しい。