「阪神701形電車」の版間の差分

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== 概要 ==
昭和初期の阪神の新設軌道線<ref>阪神本線・西大阪線・武庫川線等の阪神電鉄社内における呼称</ref>では、路線の高速化及び地下化に対応する形で、[[1931年]]の331形の[[阪神1001形電車|1001形]]への鋼体化改造を皮切りに、木造車の鋼体化改造を推進していた。

これらの改造と同時並行して、[[阪神1形電車|1形]]のうち[[1915年]]に総括制御車に改造したグループの車体を[[1923年]]に更新した291形についても鋼体化改造を実施することになり、[[1932年]]に新形式の901形として鋼体化改造を実施された<ref name="私鉄の車両21_p110">飯島巌・小林庄三・井上広和『復刻版 私鉄の車両21 阪神電気鉄道』ネコ・パブリッシング、2002年(原著1986年保育社)。110頁。</ref>。291形295,296,300,299,298の5両を種車に901~905の5両が[[日立造船|大阪鉄工所]]で、同じく292,294,297,293,291を種車に906~910の5両が[[藤永田造船所]]でそれぞれ鋼体化改造を実施された。
 
本形式は、1001形をモデルに、伝法線(現:[[阪神なんば線]])などの支線運用を前提とした非貫通式の両運転台車で、車体は全長約13.4m、車体幅約2.4m、側面窓配置d2D7D2d、前面は1001形と同じ中央が少し縦に長い非貫通式の3枚窓で、左側にエアインテークを、右側に方向幕をそれぞれ装備していたほか、屋根上にはヘッドライトを、車体前面裾部には1001形より小振りのアンチクライマーを取り付けていた。1001形との最大の相違点は車体を台枠も含めて鋼体化したことであり、屋根はやや深くなったものの車体全周に設けられたウインドシル・ヘッダーとあわせて、まとまりのいい車体に仕上がった。
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== 901・701系の運用など ==
901形は、当初は[[阪神601形電車|601形]]や1001形とともに新鋭の半鋼製車として、2両連結で本線の普通運用に充当されることもあった。しかし、加速、高速性能がこれらの形式に比べると劣ることから、1101系各形式<ref>1101,1111,1121,1141の各形の総称</ref>が増備されると、当初の予定通り単行または2連で伝法線や[[阪神尼崎海岸線|尼崎海岸線]]で専属的に使用された<ref name="私鉄の車両21_p110" />。[[1940年]]には[[阪神851形電車#881形|881形]]の増備に伴い、901形から701形への改番を実施した。
 
戦時中は大半の車両が事故や故障、あるいは新設軌道線の他形式に部品を供出して、休車状態で尼崎車庫に留置されていた。戦後しばらくして部品の供給が円滑になると復旧工事が開始され、復旧にかなりの時間と経費を要すると判断された704,705,710の3両以外は運用に復帰することができた。また、[[1948年]]に車内などを焼損した703も翌[[1949年]]にベンチレーターをガーランド型に換装されて復旧した。しかし、[[1954年]]の[[阪神3011形電車|3011形]]の登場以降、10両の少数派であり、非貫通式の両運転台車で加速・高速性能が悪く、他形式と共通運用の組めない本形式は使い勝手が悪いことから真っ先に置き換え対象車となり、同年に長期[[休車]]の704,705,710の3両が廃車され、709が[[救援車]]代用とされた。残った6両は大型車登場に伴い、ドア部分に安全確保のために張り出し式のステップを取り付けたが、尼崎海岸線運用にも充当されることもあることから、後に着脱式のステップに換装された。
 
しかし、[[1954年]]の[[阪神3011形電車|3011形]]の登場以降、10両の少数派であり、非貫通式の両運転台車で加速・高速性能が悪く、他形式と共通運用の組めない本形式は使い勝手が悪いことから真っ先に置き換え対象車となり、同年に長期[[休車]]の704,705,710の3両が廃車され、709が[[救援車]]代用とされた。残った6両は大型車登場に伴い、ドア部分に安全確保のために張り出し式のステップを取り付けたが、尼崎海岸線運用にも充当されることもあることから、後に着脱式のステップに換装された。

その後もしばらく他形式に混じって伝法線と尼崎海岸線で運用されていたが、[[1958年]]に赤胴車[[阪神3301・3501形電車|3501形]]とジェットカー試作車である[[阪神5001形電車 (初代)|5001形]]が新製投入されたことと、新設軌道線の輸送力増強と運用の合理化のために武庫川線及び尼崎海岸線に「金魚鉢」こと併用軌道線<ref>国道線・甲子園線・北大阪線の阪神電鉄社内における呼称</ref>の[[阪神71形電車|71形]]を投入することによって、701形はこれらの車両によって置き換えられることとなり、同年12月に701,703,706,708の4両が、翌[[1959年]]5月に702,707の2両が廃車され、営業用の701形は形式消滅した。

救援車代用で残った709は車体を706ないしは708のものに振り替えられて同年に正式に救援車となり、座席や窓の保護棒、ドアステップ、ドアエンジンなどを撤去して車内にジャッキなどの必要資材を搭載した。正式な救援車になってからも709は尼崎車庫の構内で待機していたが、モーターがこの形式だけのGE-90Aだったことから1101形のGE-203Pに換装する計画が立てられたものの、結局は1121形1136を救援車110(2代目)に改造することになり、余剰となった709は[[1961年]]8月に廃車、701形は完全に消滅した。
 
== 譲渡 ==
701形のうち、704,707,710の3両が[[野上電気鉄道]]へ、702が[[和歌山電気軌道]]鉄道線(現在の[[和歌山電鐵]][[和歌山電鐵貴志川線|貴志川線]])に譲渡された。

和歌山電軌は1961年に[[南海電気鉄道]]に合併されて鉄道線は同社の貴志川線となるが、702(譲渡後は605)は、[[1969年]]に南海標準型車両に置き換えられるまで使用された。また、野上電気鉄道では使い勝手がよかったことから、[[1994年]]の廃線時まで使用された。しかし、阪神から野上に譲渡された他形式とは異なり、701形譲渡車が阪神に戻ってくることはなかった。なお、どちらの路線も軌間の幅が1067mmのため、手持ちの台車に換装されて使用された。
 
== 脚注 ==
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{{デフォルトソート:はんしん701かたてんしや}}
[[Category:阪神電気鉄道の電車|7010701]]
[[Category:野上電気鉄道|車もは25]]
[[Category:1932年製の鉄道車両]]