「ナチス・ドイツによるチェコスロバキア解体」の版間の差分

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ハンガリーは混乱した。これを好機と見て4月には[[ルーマニア]]がハンガリーに侵攻した([[ハンガリー・ルーマニア戦争]])。いっぽう、6月には海軍大将[[ホルティ・ミクローシュ]]が蜂起し、南部にハンガリー政府を建設した。8月にはルーマニア軍によってハンガリーの首都[[ブダペスト]]が占領され、ハンガリー・ソビエト共和国は倒れ、クン・ベーラは国外に逃亡した。ホルティの政府が後継のハンガリー政府となったが、ルーマニア軍は撤兵に応じなかった。11月、ルーマニア軍はトランシルヴァニアの割譲を条件として撤兵した。
 
[[連合国 (第一次世界大戦)|連合国]]はハンガリー問題を解決するため、1920年[[トリアノン条約]]による領域確定を行った。これは第一次世界大戦の講和条約でもあり、動乱の続いたハンガリーはこれを受け入れるほか無かった。その結果スロバキアとカルパティア・ルテニアはチェコスロバキアに、[[トランシルヴァニア]]はルーマニアに、[[クロアチア]]は[[セルブ・クロアート・スロヴェーン王国]](ユーゴスラビア王国)に、[[ブルゲンラント州|ブルゲンラント]]は[[第一共和国 (オーストリア)|オーストリア共和国]]に割譲させられた。
 
領域の大半を失ったハンガリー国内にはチェコスロバキアに対する敵愾心が生まれ、スロバキアとカルパティア・ルテニアの奪回を目指すようになった。