「サラバンド」の版間の差分
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== 歴史 ==
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サラバンドが初めて言及されたのは[[中央アメリカ]]においてである。[[1539年]]にフェルナンド・グスマン・メヒアが[[パナマ]]で書いた詩の中で、「'''サラバンダ'''」(''zarabanda'')と呼ばれるダンスが言及されている。どうやらこのダンスは、[[スペイン]]の[[植民地]]で人気があり、これが[[大西洋]]を渡ってスペインにもたらされたらしい。
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=== バロック音楽 ===
{{See also| 組曲#バロック時代}}
前述のようにスペイン語圏が起源であるが、いずれも音楽としては残っていない。
サラバンドは、[[17世紀]]の初頭までには[[イタリア]]で[[ギター]]の舞曲として広まっており、これらが現存する最古の曲である。当初は踊りに合わせた[[カスタネット]]の拍子と[[コーラス]]を含めた[[和声]]に特徴があったが、17世紀中ばごろには3拍子であることが特徴となっていった。このころはアクセントに目立った特徴がなく、主に[[アレグロ]]や[[プレスト]]など速い[[テンポ]]で演奏されていた。遅くなったのは同世紀に[[フランス]]の[[宮廷]]で使われる舞曲になってからであり、[[リュート]]の曲が多く作られた。それでも初めのうちは、前時代の華やかなダンスの名残で軽快な曲も交じっていたが、[[18世紀]]の初めごろには「遅い[[メヌエット]]」として受容され、情緒的で優美あるいは重壮な曲調に変わっていった<ref name="harvard">{{Google books|02rFSecPhEsC|The Harvard Dictionary of Music|page=755}}</ref><ref>{{Google books|qDo4SNHRhbQC|Dance and the Music of J.S. Bach|page=92}}</ref>。
[[イギリス]]ではイタリアとフランスの両方の特徴を受け継いで、すばやく軽快で即興的な[[室内楽]]の曲が作られた。一方、[[ドイツ]]では概ねフランスだけから影響を受けて、ゆったりしたテンポで3拍子の2拍目に置かれる[[アクセント]]を特徴とし、[[チェンバロ]]、リュート、室内楽の曲が作られた。ここに至ってサラバンドは組曲の構成要素として重視されるようになり、例えば、[[バッハ]]と[[ヘンデル]]の作曲したほぼ全ての組曲と[[パルティータ]]には、サラバンドが含まれている<ref name="harvard"></ref><ref>{{Google books|TqtmlzCDzucC|The Piano|page=49|plainurl=}}</ref>。
=== 近代音楽 ===
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