「ルフトハンザ航空181便ハイジャック事件」の版間の差分
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== 事件後 ==
[[ファイル:Bundesarchiv B 145 Bild-F051866-0010, "Landshut"-Entführung, Rückkehr GSG 9.jpg|thumb|300px|ハイジャックされた[[ルフトハンザドイツ航空|ルフトハンザ航空]][[ボーイング737|ボーイング737-200]]型機「ランツフート号」へ突入し乗客を解放した[[GSG-9]]隊員が、モガディシュからケルン・ボン空港に帰還する]]
モガディシュでの人質解放の直後、[[シュトゥットガルト]]の刑務所ではハイジャック失敗の報を受けたRAFメンバーの内3人が、ロープで首を吊ったり拳銃を使うなどして[[自殺]]した
このハイジャック事件後、西ドイツ政府は今後テロリストとの取引を行わないことを発表した。シュライヤーを救出することはできず見殺しとなったものの、当時の首相ヘルムート・シュミットはこの突入事件の決断で高く評価された。また[[H&K MP5]]([[短機関銃]])および閃光弾が世界で初めて突入時に使用された事件であり、対テロ部隊GSG-9やこれらの装備の上げた成果は世界の特殊部隊に影響を与えた。[[アメリカ陸軍]]の[[デルタフォース]]、[[日本の警察]]の[[特殊急襲部隊]](SAT)などは、テロ対策・ハイジャック対策を模索中だった各国がモガディシュ事件を教訓として設立したものである。
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