「日興」の版間の差分

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(従来は略歴の形だけだったので、「生涯」の章を新たに起こした。「五一相対」の項では本尊観の相違が重要なので、それを追加した。また、「著作」の項で、従来は「御義口伝」と「百六箇抄」が挙げられていたが、御義口伝は日蓮の法華経講義の筆録、百六箇抄は日興に与えられた相伝書とされるものなので、日興の著作とするのは不適切と判断し、代わりの著作を提示した。全体に、従来のものは日蓮宗の立場が中心になっていて、やや偏頗であるとの印象を受ける。そこで、立場を異にする日蓮正宗など日興門流の主張を補い、バランスのとれた記述を心掛けた。)
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=== 佐渡期の活動 ===
 文永8年(1271年)、日蓮が竜の口の法難を経て佐渡流罪の処分を受けた際、日興は数人の弟子とともに日蓮に随行して佐渡に赴き、文永11年(1274年)、日蓮が赦免されて鎌倉に帰還するまで日蓮に給仕している(日道「御伝土代」『富士宗学要集』第5巻7頁。ただし近年、大石寺第6世道の弟子・日行を「御伝土代」の作者とする説が出されている)。
 
 日興は佐渡においても弘教に力を注ぎ、佐渡における日蓮門下の中心的存在となった阿仏房の入信も日興の働きが大きく、阿仏房一族はじめ佐渡の門下は日蓮滅後においても日興門流に属している。この点について『日蓮宗宗学全書』の「日興上人略伝」は「文永八年聖祖佐渡遠島の事あるや、上人(日興)また従て佐渡に渡り、在島三ヶ年常に師側に侍して、薪水の労に服す。阿仏房等上人の化縁佐渡に存するものあるは是が為めなり」(『日蓮宗宗学全書<ref>{{Cite book|title=日蓮宗宗学全書|date=1959年7月10日|year=1959年|publisher=山喜房仏書林}}</ref>』第2巻1頁)と述べている。
秋山孫次郎泰忠(?-1378年)秋山信綱の孫。讃岐本門寺開基檀那。
 
== 著 ==
* 安国論問答
* 日興跡条条事
* 宗祖御遷化記録
* 弟子分本尊目録
*五重円記
* 遺戒置文
* 佐渡国法華講衆御返事
* 富士一跡門徒存知事
* 五人所破抄
*美作房御返事
*原殿御返事
 
など
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