「横浜正金銀行」の版間の差分

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* [[1946年]](昭和21年) - [[閉鎖機関]]に指定される。株式会社[[東京銀行]]を設立し、同行に業務を引き継いで解散。
* [[1957年]](昭和32年) - 旧:[[仏領インドシナ]]を占領中の日本軍がその軍費を調達するため、日仏政府間および旧:正金銀行・[[インドシナ銀行]]間でそれぞれ協定を締結していたが、二協定による終戦時の日本側債務残高とフランス側特別円勘定を最終的に解決すべく、両国政府間で議定書を作り清算した。後に国会で問題化するが、特別円勘定についてあたかも円建てであったかのような言及がなされている点について、実際は[[スターリング・ポンド]]で支払われた{{refnest|group="注釈"|[[岸信介]]と駐日仏大使アルマン・ベラールが署名<ref>[http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/A-S38(1)-082.pdf インドシナ銀行名義で横浜正金銀行に開設された諸勘定に関する問題の解決に関する日本国政府とフランス共和国政府との間の議定書] 昭和32年3月27日</ref>。}}{{refnest|[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/033/0082/03312170082020a.html 第33回国会 外務委員会 第20号] 昭和34年12月17日<ref group="注釈">「まず特別円という問題につきましては、戦時中当時の旧仏領インドシナを占領中の日本軍が、その軍の軍費を調達」「いたしまするために、日仏政府間で協定をいたしました。また旧正金銀行とインドシナ銀行との間に、これに基いて金融協定というものを締結いたしました。」「その結果、終戦の当時に」━━よくここのところを聞いておいていただきたいんです━━「その結果、終戦の当時にわが方の債務として残りましたものは、米ドル勘定で四十七万九千六百五十一ドル十九セントでございます。また特別円勘定といたしまして残りましたものが、十三億千五百二十七万五千八百十八円三銭、かくのごとく相なっております。」「米ドル勘定の債務の決済残り、特別円の債務の決済残り、これらはいろいろと勘考いたしまして、あらためてフランス側との間の話し合いによりまして、三十二年の三月二十七日に円貨十五億円とドル貨四十八万ドルをもってこれの決済をいたしたわけでございますから、」「戦時中、」━━ここも重要だと思う━━「戦時中、戦争以前からのいわゆる仏印の特別円問題というものは全部片がついた、こういうことに相なるわけでございます。それから三十三トンの金の価格がどうであるか、これの見合いのものは何の決済であったかというお尋ねがございましたが、」「これは、」「戦争前からの協定によりまして、こういう軍の[[ピアストル]]貨の調達については、'''金で支払う'''という条項に基きまして、一九四一年の十一月六日以来、」「約十回にわたりまして軍費の調達」「それから」「ゴムの輸入代金」「そのほかに、昭和十七年末に、一般勘定と称するものがございまして、その残高も金で決済しなければならなかったわけであります。これらを合計いたしますると、」「三十三トンに相なるわけでございます。」と、こういう答弁なんでございます。これは日仏特別円決済に関する政府のわざわざ閣議を開いて統一した見解であります。」</ref>}}。
* [[1963年]](昭和38年) - 清算結了。残余財産のうち、不動産を主たる資産として[[日本中央地所]]株式会社(後の[[PHYLLITE]])設立。
 
== 歴代頭取 ==