「大久保利通」の版間の差分

暗殺事件に関する記述の誤りを訂正。
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(暗殺事件に関する記述の誤りを訂正。)
[[画像:Toshimichi Okubo in the Aoyama Cemetery.JPG|thumb|200px|大久保の墓([[青山霊園]])]]
{{Main|[[紀尾井坂の変]]}}
明治11年([[1878年]])[[5月14日]]、馬車で皇居へ向かう途中、[[紀尾井坂]]付近の清水谷([[東京都]][[千代田区]][[紀尾井町]])にて殺害された([[紀尾井町事件)<ref>遠矢浩規『利通暗殺 紀尾井町事件変]]基礎的研究』(行人社、1986年</ref>。暗殺現場は紀尾井坂ではない。享年49〈数え年〉、満47歳没。墓所は[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]の[[青山霊園]]にある。
 
== 人物・逸話 ==
**「大体から其平素を謂へば、大久保卿は[[江藤新平|江藤さん]]や[[黒田清隆|黒田伯]]とは異つて、容姿の閑雅な、挙動に落付いた処のあつた方で、容易に他人と争はれるやうな事をせられなかつたものである。私と争つた場合の事に就て謂へば、若し大久保卿にいま一段と大きな性格がありさへしたら、あの場合にも私などと争はず、私の言ふ処にも理があるから、一つその意見を訊し詳細を聞いてやらうとの気を起され、私と争ふ如き児戯に類する事をせられなかつた筈だと思ふのである。ここが[[木戸孝允|木戸先生]]と大久保卿との異る処である。」<ref>[https://eiichi.shibusawa.or.jp/features/jikkenrongo/JR011014.html 『実験論語処世談』14. 木戸先生と大久保卿]</ref>
* [[松田秀彦]] 「当時私の妻の兄が霞ヶ関の大久保邸門前に住んでいたので、私は同家に止宿し大久保の一挙一動を探った。そして彼の顔をよく知っておく必要から再度訪問もしたが、身丈五尺五寸凄味のある彼であるが、私には極く親切で何事も話してくれた。話をそっちのけにして顔ばかり見つめていたので、あるとき『貴公はどうして顔ばかりみるんじゃ』と質問されたこともあり、彼の生活は質素なものであったと後世伝えられているが、銀の火鉢に金の煙管で煙草を吹かしており、しかも一か月の煙草代十六圓であることを知って憤慨したものだ」<ref>『生きている歴史』P85</ref>
* [[島田一郎]] 「([[紀尾井坂の変]]町事件の際)甲東この急場に臨み、命を助けよと言わずして、しばらく命を貸せという。その大胆、実に驚くべし。我れ大人物を殺せしを悔ゆ」<ref>『近世偉人百話[正編]』</ref>
 
== 系譜 ==
* [[徳富蘇峰]]『近世日本国民史 明治三傑』 講談社学術文庫、1981年。
* [[木戸孝允]]『木戸孝允日記 全三冊』 東京大学出版会、1985年。
*遠矢浩規『利通暗殺 紀尾井町事件の基礎的研究』行人社、1986年。
 
== 大久保利通を主題とした作品 ==