「80式戦車」の版間の差分

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== 概要 ==
[[中ソ対立|対立状態]]にあった中ソは、[[1969年]]に[[ウスリー川]]の[[珍宝島|ダマンスキー島]]で[[中ソ国境紛争|軍事衝突]]に至った。[[戦車#第1世代主力戦車|第1世代戦車]]である[[59式戦車]]は[[ソビエト連邦|ソ連]]からの[[軍事技術]]供与で量産することができるようになったものの、[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]の[[戦車]]に対抗できる[[戦車#第2世代主力戦車|第2世代の戦車]]開発を自国で行う必要性に迫られる事となった。当初は西ドイツの[[クラウス=マッファイ]]社に代表団を派遣して[[レオパルト2]]の購入または[[ライセンス生産]]を検討するも外貨不足で実現せず、当時の第2世代戦車の最新技術を取り入れた国産戦車の開発を決定した<ref>{{cite web|url= https://www.chinatimes.com/cn/tube/20160909005597-261412?chdtv|title=中国秘密西方好友 这大国曾不顾俄反对卖最强坦克|work = [[中時電子報]]|date=2016-09-09|accessdate=2019-08-01}}</ref>。そこで、[[69/79式戦車|79式戦車]]の車体をベースに試作案が作成され、[[1980年]]から開発が始まり、[[1985年]]に[[内モンゴル自治区]]の617工場で[[プロトタイプ]]が完成、[[1988年]]に制式採用された。
 
80式戦車の車体は79式戦車をベースに車体全体を大型化し、大型転輪5個から上部支持輪を持つ小型転輪6個へ変更した。[[砲塔]]は、ソ連軍戦車独特の[[避弾経始]]を重視したお椀型デザインを引き継ぐが、[[主砲]]は[[西側諸国|西側]]の[[北大西洋条約機構|NATO]]規格の105mm [[ライフル砲]]を採用した。このほかにも、[[暗視装置#パッシブ方式|微光増幅式暗視装置]]やアナログ式[[弾道]]コンピュータ、[[光波測距儀|レーザー測定器]]など、当時の第2世代戦車の最新技術が取り込まれを導入した。
 
その後も砲塔前面部の[[弾薬]]搭載スペースの排除や搭載弾数の増加、ERA([[爆発反応装甲]])の追加などの改修が行われ、新たに小型されたレーザー測定器の搭載、砲塔前面に対[[成形炸薬弾|HEAT弾]]対策の[[装甲#増加装甲|追加装甲]]、新型の対NBC加圧システムが加えられ、80-II式戦車としてプロトタイプが製造され、輸出モデルとして売り込みが行われるも採用国は無く、それ以降量産されることはなかった。