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[[337年]]1月、石虎が大趙天王を自称すると、石鑑は義陽公に降封となった。
 
[[339年]]8月、征討大都督[[キ安|夔安]]は歩兵5万を率いて荊揚北部へ、騎兵2万を率いて邾城へ侵攻すると、石鑑は石閔・[[李農]]・[[張賀度]]・[[李菟]]と共にその傘下に入った。9月、後趙軍は各地で東晋軍に大勝して多数の将兵を討ち取り、邾城・石城を陥落させて7千戸余りを引き連れてから帰還した。
 
後に[[関中]]の統治を任されるようになったが、石鑑はしばしば民を労役に駆り出し、さらに重い税を課していたので人心を失ってしまったという。