「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!の企画」の版間の差分

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そのブラビにも大きな問題があった。ポケビグッズに対抗して製作した木彫り像(売価5万円)20体である。これを売りさばくために飛込みでの販売等々苦労の日々(あまりの過酷さにビビアンは号泣し、南々見は「悪魔の木彫り像だ!」と叫んでいた)が続いた。やっとの思いで売りさばいた一行はビビアンの故郷・[[台湾]]でのデビューを決意するが南々見、天山の知名度は当時台湾では全く無いに等しく、ビビアンが懸命に台湾のレコード会社を回るも断られ続け(ビビアンのソロでなら出してもいいなどというところが多かった)、涙を流す場面が多かった。そしてようやく決まったのが[[BMG JAPAN]]である。ポケビが課した「利き酒」の課題を見事にクリアし、12月ブラビも『[[STAMINA]]』で念願のデビューを果たす。売り上げのノルマも無事達成し、以降活動を継続することが決まった。
 
[[1997年]][[12月]]、ポケビ・ブラビは同じ日に[[日本武道館]]ライブを行うことを決定。しかしその日はランキングキャラクターライブキングオブキャラクターバトルトーナメントの優勝者ホワイティのライブがあるという事態に。対立する両ユニットはこの武道館ライブの前座権を賭けて対決が行われた。「CDセールスの旅対決([[築上町|築上]]・本庄の大樟→[[神戸市|神戸]]・布引武道館)」「綱渡り対決([[浜名湖]])」「ガソリンすごろく対決([[浜松市|浜松]]→[[東京]])」」の3つで争った。激闘の末、先にゴールにたどり着いたのはポケビ。一方、武道館の観客達(1万人の内、ポケビファンとブラビファンの5000人ずつ)は自分の支持するグループの登場を願っていて、ポケビファンは勝ったポケビの登場で大喜びだったが、一方のブラビファンは負けたブラビが登場せずに呆然状態と同時にポケビにブーイングを送っていた。その後、ブラビも無事に歌わせてもらった。
 
[[1998年]]になると戦いはさらにエスカレート。様々な条件を付けて争われ、次第に争う内容も大きくなる。春先、両ユニットは新曲を製作し、その発売を懸けて「ガソリンすごろく対決([[白馬村|白馬]]→[[御殿場市|御殿場]])」が行われる。その結果、接戦でブラビが勝利し、ブラビは『[[Timing (曲)|Timing]]』の発売が決定する。一方敗北したポケビは活動停止を迫られた上、完成していた『My Diamond』のマスターテープが6トンの鉄球に潰される屈辱を味わった。夏、ポケビは活動再開と失われた曲を復活するため全国で大々的な署名活動を行い(ポケビ100万人署名)、またガソリンすごろくで勝利したブラビも『Timing』の発売枚数にノルマが課せられるなど、それぞれの試練と戦っていた。1998年暮れ、両者が奇跡的に仲直り(という設定)し、[[第49回NHK紅白歌合戦]]に出場を果たしたのと同時にさらに人気が高まった。歌う6人の他に、[[よゐこ]]([[濱口優|濱口]]・[[有野晋哉|有野]])、K2([[勝俣州和|勝俣]]・[[堀部圭亮|堀部]])、[[藤崎奈々子]]の5人は応援団として紅白歌合戦に出場。内村は歌の後半に「ホワイティ」として再登場した。