「水原華城」の版間の差分

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水原華城は老論を排除して実学を重視した正祖の'''理想都市'''であり、一時は華城への遷都も検討されたが、水原華城完成直後に正祖が死亡したため遷都は見送られた。
 
水原華城建築には、[[1794年]]から[[1796年]]まで2年を越える月日と37万人の労力が投入された。城壁の長さは5kmを越え、中国から伝わった西洋の建築技術を輸入し、城郭の築造に石材とレンガが併用されている点が特徴的である。東洋と西洋の技術を融合させた設計を行ったのは朝鮮後期の実学者[[丁若ギョン|丁若鏞]]。これは当時の朝鮮の築城技術・建築美術の粋を集めたものであったが、水原華城を最後として、以降の李朝の築城は衰退した。
 
[[朝鮮戦争]]により一部が破壊されたものの、[[1975年]]から5年間を掛けて「華城城役儀軌」という築城記録をもとに修復・復元工事が行われた。現在、城郭内部は市街地化している。築城時に48あった建物のうち、41ヶ所が[[復元]]されている。