「諸葛靚」の版間の差分

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その後、沈瑩は青巾兵と呼ばれる精鋭5千を率いて晋の軍を攻撃したが、三度攻撃をかけても落とすことは出来ず、撤退しようとしたところで軍が混乱を起こし、それに乗じて晋軍が攻撃を仕掛けてきたため、沈瑩の軍は壊滅した。これを契機とし、呉の他の軍も次々に敗れ去り、一度は降った張喬らもやはり裏切って、背後から呉の軍を攻撃した。
 
諸葛靚は600の敗残兵を取りまとめて撤退しようとし、張悌の下に共に逃げるように使者を送ったが、張悌はその場を動こうとしなかった。諸葛靚は自ら赴いて張悌の袖を引っ張って説得し、撤退しようとしたが、張悌はこれを拒絶したため、涙を流して袖を離した。張悌はそのまま晋軍に突撃し、戦死した。その後、諸葛靚は孫奕らとともに[[司馬チュウ|司馬伷]]に降伏した。
 
呉が晋によって滅ぼされると、司馬炎は昔の誼もあり、彼を[[侍中]]に取り立てようとした。だが彼は固持して受け入れず、そのまま隠遁してしまった。晋への恨みを忘れず、決して晋の都である[[洛陽]]のある方向を向かなかったという。