「水野南北」の版間の差分

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水野南北は、大坂[[阿波座]]([[大阪市]][[西区 (大阪市)|西区]])に生まれたが、幼くして両親を亡くし[[鍛冶屋]]をしていた[[叔父]]「弥助」夫婦に育てられる。子供の頃(10歳)より盗み酒を覚え、酒代に窮して叔父の稼ぎ集めた虎の子を持ち逃げし、[[天満]](大阪市[[北区 (大阪市)|北区]])で酒と[[博打]]と[[喧嘩]]に明け暮れ家業の鍛冶職鍵錠前造りから「鍵屋熊太」と呼ばれる無頼の徒となった。
 
刃傷沙汰を繰り返し、 18歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、天満の[[牢屋]]に入れられる。牢内で人相と人の[[運命]]に[[相関]]関係があることに気づき観相に関心を持つようになる。
 
出牢後、人相見から顔に[[死相]]が出ていると言われ、運命転換のため、慈雲山[[瑞竜寺]](鉄眼寺)に出家を願い出たところ、「半年間、麦と大豆だけの食事が続けられたら弟子にする」といわれ、[[堂島川]]で川仲仕をしながら言われた通り麦と大豆だけの食事を続けたところ、顔から死相が消えたばかりでなく、[[運勢]]が改善してしまった。
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*『食は運命を左右する』(たまいらぼ、1997年)
*『南北相法極意修身録』(人間医学社、1952年)
*『南北堂記』
*『少食開運・健康法秘伝』(慧文社、2012年。ISBN 9784863300569)
 
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*中矢伸一『日本霊能者伝』([[廣済堂]]文庫、1994年)
*佐伯マオ『偉人・天才たちの食卓』([[徳間書店]]、1991年)
*牧野正恭・田中一郎『浪速の相聖-水野南北とその思想』(大阪春秋社、1988)1988年)
 
==関連項目==
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{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:みすの なんほく}}
[[categoryCategory:身体論]]
[[Category:江戸時代の人物]]
[[Category:1760年生]]